初期ナチスをめぐる人物と組織
(つくりかけ)
混沌とした初期ナチスをめぐる人物や組織をまとめてみました。
現在編集中。
参考文献(あとでちゃんとしたものを製作します)
・檜山良明 『ナチス突撃隊』
・横山茂雄 『聖別された肉体』
・クノップ, グイド 『ヒトラーの親衛隊』 高木訳
・テーラー, ジェームズほか 『ナチス第三帝国事典』 吉田監訳
・ヘーネ, ハインツ 『SSの歴史(上)』 森訳
・Wikipediaナチス関連記事(英、独語)
人物篇
| 1919 | アントン・ドレクスラー Anton Drexler 1884-1942 錠前師。ドイツ労働者党創設者。元ドイツ祖国党所属。 |
| カール・ハラー Karl Harrer 1890-1926 スポーツ記者。トゥーレ協会所属。協会の使者としてドレクスラーに接触し、「ドイツ労働者党」設立に寄与した。1919年、ヒトラーと方針で対立し離党。 |
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| パウル・ターフェル Paul Tafel MAN AG幹部。汎ドイツ連盟幹部。ドレクスラーの仲間のひとり。 |
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| ゴットフリート・フェーダー Gottfried Feder 1883-1941 Gottfried Feder (, 経済学者, レーム粛清後に大学教授) |
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| Dietrich Eckart (ディートリヒ・エッカルト, トゥーレ協会, ミュンヒェン一揆直後病死) | |
| Michael Lotter (ミヒャエル・ロッター, 海軍, 不詳 | |
| ローゼンベルク | |
| ヒトラー | |
| Emil Maurice (エミール・モーリス, 時計職人, 初代SA最高司令官) | |
| 1920 | Josef Berchtold レーム、ヘス |
| 1921 | Julius Schreck |
| 1922 | ゲーリング |
| 1923 | ゲッベルス、ヒムラー |
組織篇
| ドイツ祖国党 Deutsche Vaterlandspartei |
1917-8年。1917年7月、大戦が長期化しているのを懸念し、カトリック中央党や社会民主党などが無賠償・無併合の講和条約締結をもとめる決議を帝国議会で行った。それに対して戦争継続派が設立したのがこのドイツ祖国党である。最盛期は党員数125万を数えたが、1918年にドイツ革命が発生して同年12月に解散した。 | |
| 良き平和の為の自由労働者委員会 Freie Arbeiterausschuß für einen guten Frieden 政治的労働サークル
ドイツ労働者党 |
ドレクスラーが関与した諸団体。 「委員会」は祖国党から離脱後に参加した組織。ドレクスラーはそのミュンヒェン支部を創設した。 「政治的労働者サークル」はトゥーレ協会から派遣されたハラーの援助で設立された。「ドイツ労働者党」は、1919年にバイエルン議会選挙実施を前にして、選挙活動を念頭において設立された組織。 |
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| トゥーレ協会 Thule-Gesellschaft |
1918-37年。1912年に創設された反ユダヤ組織「帝国ハンマー同盟」(Reichshammerbund)の地下組織として「ゲルマン騎士団」(Germanenorden)という組織が存在した。この地下組織はフリーメーソンなど既存の秘密結社に範をとったものである。 この組織はドイツ全土に拡大したが、1917年内紛により停滞。ただし騎士団のバイエルン支部は、ルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフ(Rudolf von Sebottendorf)の尽力により存続し、この支部が1918年に「トゥーレ協会」と名称を変更する。 トゥーレ協会は南部ドイツにおいて民族主義者や国家主義者の巣窟となり、大戦後左翼が勢いをつける中で諸民族主義団体を糾合すること目指した。ドレクスラーの創設した「良き平和の為の自由労働者委員会」ミュンヒェン支部にも協会からの接触があり、協会は「政治的労働サークル」や「ドイツ労働者党」の設立を援助した。有名な所属者として、ディートリヒ・エッカルト、アルフレート・ローゼンベルク、ルドルフ・ヘスなどがいる。 1919年には、伸張する革命勢力に対抗するために「オーベルラント義勇軍」(Freikorps Oberland)を結成した。 1937年、ナチ政権によるオカルト団体の取り締まりにより解散。 |
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| 汎ドイツ連盟 Alldeutscher Verband |
1891-39年。帝政翼賛組織。 | |
レーム、突撃隊関連
| 1919 | 1月5日 アントン・ドレクスラー、ドイツ労働者党創設 |
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| エップ義勇軍 Freikorps Epp | 革命勢力に対抗するため、前線から帰還した軍人が義勇軍を各地で結成した。エップ義勇軍もそのひとつ。バイエルンの革命勢力に対抗して結成された。指揮官はフランツ・フォン・エップ(Franz von Epp)。レームはこの部隊の兵站担当。 | |
6月28日 ヴェルサイユ条約調印 |
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9月 ヒトラー、ドイツ労働者党入党 |
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| 鉄拳団 Eiserne Faust | レームの組織。国防軍が義勇軍を支援するための組織。ヒトラー伍長の上司、カール・マイエル大尉も所属。 | |
| 1920 | 2月24日 ドイツ労働者党、国家社会主義ドイツ労働者党に改名 |
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| 会場警備隊 | 演説会場を警備する為に組織。エミール・モーリス(Emil Maurice)が指揮者。 | |
3月13日 カップ一揆→失敗 |
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| 帝国国旗団 Reichsflagge 下バイエルン闘争同盟 |
義勇軍解散後、レームの設立した組織。 | |
| 1921 | 7月29日 ヒトラー、党首就任 |
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| 体育・スポーツ隊 | 会場整理部隊として組織。ここに、コンスル組織(Organisation Consul)のメンバーが多数参加。コンスル組織は、エップ一揆に参加したエアハルト旅団の残党組織の一。指導者のウルリッヒ・クリンチ(Ulrich Klintzsch)も同組織の出身であった。 | |
| 突撃隊 Sturmabteilung | 11月4日、体育・スポーツ隊を改名。引き続き、元義勇軍の兵士たちを吸収していった。 | |
| 1922 | 10月30日 ムッソリーニ、イタリア首相就任 |
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| 1923 | 1月11日 フランス・ベルギー軍、ルール地方占領 |
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3月 ヒトラー、突撃隊指導者にゲーリングを任命。 |
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| 幹部護衛隊 Stabswache | 3月 クリンチが編成に関与。ヒトラーの護衛部隊。 | |
5月 ヒトラーのバイエルン政府批判に抗議して |
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| アドルフ・ヒトラー挺身隊 Stoßtrupp Adolf Hitler |
クリンチの脱退を期に、幹部護衛隊が再編成されて結成。ユリウス(Julius Schreck)・シュレックが指揮者。シュレックはトゥーレ協会の義勇兵部隊「オーベルラント義勇軍」(Freikorps Oberland)の出身。 | |
11月
ミュンヒェン一揆 |
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| 1924 | 大ドイツ労働共同体 Großdeutsche Arbeitsgemeinschaft |
1月 禁止されたナチの偽装組織。指導者ローゼンベルク。 |
| 戦線隊 Frontbann | 4月、レーム保釈。5月、突撃隊の偽装組織として戦線隊編成。 | |
12月20日 ヒトラー、釈放 |
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| 1925 | 2月16日 ナチ党解禁 |
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| 幹部護衛隊 再編 | 4月 ヒトラー、ユリウス・シュレックに幹部護衛隊の編成を命令。 | |
| 突撃隊 アドルフ・ヒトラー挺身隊 再編 |
5月25日 ヒトラー、突撃隊とアドルフ・ヒトラー挺身隊の再編成を命令。戦線隊から多くの参加者。 | |
| 1926 | レーム、ボリビアへ。 | |
| 9月1日 突撃隊最高司令官創設。プフェファ・フォン・ザロモン就任。突撃隊の組織編制加速。 | ||
| 11月6日 突撃隊、中央集権化。 | ||