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軍歌
日本陸軍

1904年

作詞:大和田建樹
作曲:深沢登代吉

[歌詞・備考] [原典・楽譜]

 

(出陣)
天に代りて不義を討つ
忠勇無双の我兵は
歓呼の声に送られて
今ぞ出で立つ父母の国
勝たずば生きて還らじと
誓ふ心の勇ましさ

(斥候)
或は草に伏し隠れ
或は水に飛び入りて
万死恐れず敵情を
視察し帰る斥候兵
肩に懸かれる一軍の
安危は如何に重からん

(工兵)
道なき方に道を付け
敵の鉄道撃ち毀ち
雨と散り来る弾丸を
身にあびながら橋かけて
我が軍わたす工兵の
功労何にか譬ふべき

(砲兵)
鍬とる工兵助けつつ
銃とる歩兵助けつつ
敵を沈黙せしめたる
我軍隊の砲弾は
放つに中らぬ方もなく
其声天地に轟けり

(歩兵)
一斉射撃の銃先に
敵の気力をひるませて
鉄条網も物かはと
踊り越えたる塁上に
立てし誉の日章旗
皆我歩兵の働きぞ

(騎兵)
撃たれて逃げゆく八方の
敵を追ひ伏せ追散らし
全軍残らず撃ち破る
騎兵の任務重ければ
我が乗る馬を子の如く
いたはる人もあるぞかし

(輜重兵)
砲工歩騎の兵強く
連戦連捷せしことは
百難冒して輸送する
兵糧輜重のたまものぞ
忘るな一日遅れなば
一日堪ゆたふ兵力を

(衛生兵)
戦地に名誉の負傷して
収容せらるる将卒の
命と頼むは衛生隊
ひとり味方の兵のみか
敵をも隔てぬ同仁の
慈けよ思へば君の恩

(凱旋)
内には至仁の君いまし
外には忠武の兵ありて
我手に握りし戦捷の
誉は正義の凱歌ぞ
謝せよ国民大呼して
我が陸軍の勲功を

(平和)
戦雲東に治まりて
昇る朝日と諸共に
輝く仁義の名も高く
知らるる亜細亜の日の出国
光目出度仰がるる
時こそ来ぬれいざ励め

 

<備考>

[曲について]
 その名の通り、日本陸軍を代表する軍歌です。

 日露開戦の1904年、大和田建樹によって作詞されました。曲は「四千余万」(中村秋香)の譜を流用したものです[1]。作曲者の深沢登代吉は、東京音楽学校卒、師範学校の教諭を勤めたものの、1901年に死去しています。つまり、この「日本陸軍」が出来た時には故人だったということです。

 この軍歌は1931年に満洲事変が勃発すると、出征兵士を送る為に使用されました。在郷軍人会が普及させたといいます[2][3]

 1937年、上掲歌詞にあるこれら旧来の兵科などに加え、藤田まさとの手になる「爆撃隊」「機関銃隊」「戦車隊」「電信隊」「皇軍凱旋」の歌詞が追加されました。また同年、西条八十が、「航空兵」「高射砲兵」「鉄道隊」「電信隊」「戦車隊」「機関銃隊」「軍犬軍鳩」の歌詞を製作しています。どうやら、支那事変勃発にあわせて、複数の文人が「日本陸軍」に追補しているようです。この辺の事情は調査中。

<脚注>

[1] 堀内敬三 『定本日本の軍歌』 実業之日本社、1969年、208頁。
[2] 同書。
[3] なお「軍歌・戦時歌謡大全集(1)明治・大正の軍歌(日本コロムビア、1995)の歌詞カードにおける八巻明彦氏の「曲目解説」では、リバイバルされたのは支那事変の時だとしている(28)

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<音源>

 著名軍歌なため、様々な音源がありますが、藤田まさとによって加えられた新版の録音はひとつもありません。現存しているのはすべて明治につくられた歌詞を吹き込んだものです。

日本の軍歌(一)暁に祈る 戦後録音。「騎兵」「輜重兵」「衛生兵」「凱旋」が欠。
軍歌・戦時歌謡大全集 戦前録音。「工兵」〜「衛生兵」が欠。
軍歌・戦時歌謡大全集(1)明治・大正の軍歌 戦前録音。「凱旋」「平和」が欠。陸軍戸山学校軍楽隊による吹き込み。

一応これらの音源ですべての歌詞は歌われているということになります。

 

[歌詞・備考] [原典・楽譜]

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