トップページ戦史研究分室

SSの前身組織について

 

SS(親衛隊)の前身組織についてのまとめ。
主要な典拠は『ヒトラーの親衛隊』と『髑髏の結社・SSの歴史』。
補助として以下のWikipedia記事を参照した。

http://en.wikipedia.org/wiki/Schutzstaffel

http://de.wikipedia.org/wiki/Schutzstaffel

これらの組織は定訳もないので、以下にまとめてみた。

 

1923.3 幹部護衛隊
(Stabswache)
◇ヒトラーの身辺警護を目的として編成。レーム支配下のSAへの警戒という意味合いもあった。黒服、銀の髑髏徽章、鉤十字の腕章などを装着。

◇『ヒトラーの親衛隊』では「司令部衛兵」と訳しているが、特定の幹部(ヒトラー)を警護する部隊なので、『髑髏の結社SSの歴史』の訳にならった。

◇なお200712月時点での英語版Wikipediaによると、指揮官はエミール・モーリス(Emil Maurice)8名から構成され、エアハルト旅団を見本としたとの事。

200712月時点での独語版Wikipediaによると、突撃隊員のユーリウス・シュレック(Julius Schreck)、ヨーゼフ・ベルヒトルト(Joseph Berchtold)、ミュンヒェン第19歩兵連隊の兵の3名から構成されたとの事。ただしこの記述は、編成の月が5月となっている事から、のちの「アドルフ・ヒトラー挺身隊」と混同している可能性がある。

1923.5 アドルフ・ヒトラー挺身隊
(Stoßtrupp Adolf Hitler)
◇ヘルマン・エアハルトがヒトラーと仲違いし、部下をSAから引き上げた事がきっかけで護衛部隊が再編成された。これが「アドルフ・ヒトラー挺身隊」である。構成メンバーは、

ユーリウス・シュレック(SA出身、のちSS初代長官)
ヨーゼフ・ベルヒトルト(ナチ党財務のナンバー・ツー、のちSS二代目長官)
ウルリヒ・グラーフ(Ulrich Graf)(元豚肉屋、自称アマチュア拳闘家)
エミール・モーリス(元時計工、横領の前科)
クリスティアン・ヴェーバー(Christian Weber)(元馬丁)

など。いずれも、レームやエアハルトの支持者ではなかった。

◇『SSの歴史』では、「アドルフ・ヒトラー突撃隊」と訳しているが、SAとの区別がつきにくいので『ヒトラーの親衛隊』の「挺身隊」を採用した。

200712月時点での英語版Wikipediaによると、アドルフ・ヒトラー挺身隊が編成されたのは、ヒトラーが釈放されたのちの1925年だとしている。

200712月時点での独語版Wikipediaによると、以下の通り。

ユーリウス・シュレック
ヨーゼフ・ベルヒトルト(以上2名は幹部護衛隊から引継ぎ。元エアハルト旅団の出)
ウルリヒ・グラーフ
エミール・モーリス
クリスティアン・ヴェーバー
ヨーゼフ・ディートリヒ(Josef Dietrich)(のちのLAH指揮官)
ルドルフ・ヘース(Rudolf Hess)(のちのアウシュヴィッツ収容所所長)
ヤコブ・グリミンガー(Jakob Grimminger)
ヴァルター・ブッフ(Walter Buch)
カール・フィーラー(Karl Fieler)

1923.11   ミュンヒェン一揆、アドルフ・ヒトラー挺身隊解散。
1924.12   ヒトラー釈放。
1925.4   ヒトラー、シュレックに新たな護衛部隊の編成を命令。
1925.? 親衛隊
(Schutzstaffel)
SSの歴史』によると、ヒトラーが編成を命令した2週間後に親衛隊と命名される。『ヒトラーの親衛隊』によると、命名は9月。指揮官はシュレック、その役職名は「親衛隊最高司令官」(SS-Oberleiter/Oberleiter der SS)であった。
1925.9.21   シュレック、全国の地方党グループにSSを設立するように通達。
1925.12   隊員数200
1926.4   SS最高司令官、ベルヒトルトに交代。
1926.11   親衛隊最高責任者の名称を「SS-Oberleiter」から「Reichsführer-SS」に変更。親衛隊全国指導者、すなわちSS長官。
1927.3   SS長官、エアハルト・ハイデン(Erhard Heiden)に交代。
1928   隊員数280
1929.1.6   SS長官、ハインリヒ・ヒムラーに交代。

 

トップページに戻る

「戦史研究分室」に戻る