西洋軍歌蒐集館戦史研究分室

カール・マリア・ヴィリグート
(Karl Maria Wiligut 1866-1946)

紀元前22万8000年前を知ると吹聴した、「ヒムラーのラスプーチン」

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1.病める神秘主義者

 1866年12月10日、ヴィーンに生まれる。1920年代前半から神秘主義に傾倒、様々な奇説を唱え始める。

 例えば、自分は神々の遺産を相続しており太古の歴史を透視できる、とヴィリグートは吹聴した。彼によれば、ゲルマン民族の歴史は紀元前22万8000年にまで遡り、その頃は天上に太陽は3つあって、地上には巨人と小人が住んでいたという。

 また『聖書』は元来ドイツ語で書かれたものであり、キリスト教徒やユダヤ人やフリーメーソンらがこの事実を隠蔽しているとも主張。その上で、イルミニスムスという新興宗教こそ、太古からの真の教理だと論じた。

 しかし様々な奇行や家庭内暴力から1924年には精神病院に収監され、精神分裂症と診断される。誇大妄想や偏執狂の症状がみられたという。1932年、家族と縁を切り、ドイツのミュンヒェンに移住。ここでまた様々な神秘思想を唱えた。

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2.ヒムラーの寵臣として

 ヴィリグートが今日歴史に名を留めるのは、ドイツ移住後ヒムラーによって大きく取り立てられたからである。

 1933年、すでに67歳だったヴィリグートは、SS長官のヒムラーと接触する機会を得る。ゲルマン民族に関する彼の説に大きく感銘を受けたヒムラーは、特別の研究部署を用意して彼を迎えた。

 ヴィリグートはヒムラーの寵を受け、1934年4月にはSS大佐、同年9月にはSS准将と異例の昇進を遂げる。1935年にはベルリンに移住してヒムラーの側近となった。1936年、SS少将となりアーネンエルベの調査にも携わる。その他ヴィリグートはSS隊員の結婚式で司祭を勤めたり、隊員に授与する髑髏リングのデザインも任された。

 ヒムラーは、ヴィリグートの唱える奇説を本気で信じていたらしい。その事から、今日ヴィリグートは帝政ロシア末期の妖僧に擬して「ヒムラーのラスプーチン」と呼ばれる。

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3.化けの皮が剥がれて

 ヴィリグートの出世は呆気なく終わった。1938年、過去の精神病院収監歴が発覚し、ヒムラーに見捨てられるのである。1939年、老年や健康状態を理由にSSを退官。以後、まったく影響力を失う。

 戦後間もない1946年、アーロルゼンで死亡。享年80歳。

 

 

A.U.C.2759年11月24日更新

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<参考関連文献>
Karl Maria Wiligut(英語Wikipedia)
ヒトラーの親衛隊 グイド クノップ(著) 高木玲(訳) 原書房、2003年
The Secret King Karl Maria Wiligut Dominion, 2006(ヴィリグートの著書の英訳)

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