癈 人 日 乘 |
コメントなどあれば掲示板にでも。
2008-8-22 駄目だこいつ…早く何とかしないと… |
最近、日本軍歌に昔から纏わりついている幾つかの妄想が気になって仕方がありません。 例えば、「明治軍歌には敢闘した相手を賛美する武士道精神があったが、昭和にはそれが失われた」とか、「軍歌と戦時歌謡は別物だ」とか、「純粋に軍歌といえるのは、軍の制定歌や前線兵士が愛唱していたもののみである」とか。 戦後の今になって、「私はこう解釈したい」というなら別ですけど、史実として軍歌を見た際、明らかに以上のような主張には問題があります。 明治軍歌にも敵国を蛮族と貶したものがあります(反対に昭和軍歌にも敢闘した敵を賛美しているものがあります)し、戦時歌謡は戦後の造語ですし、純粋な軍歌などといって「軍歌」という言葉を特権化しようとする動きが戦前にあったわけでもありません。 - むしろこういった妄想がどうして誕生したのでしょう。うまく処理できれば史学や社会学あたりの卒業論文ぐらいにはなりそうです。妄想に基づく軍歌本が数多くある一方で、軍歌についての学術研究は恐ろしい程に未着手なので、暇な学部生の方、論題にいかがですか。 まあそれはどうでもいいんですが、その中でも明治軍歌をやたら特別視する考えについて、以下で少し弄ってみます。 - まず、補助線として「鉄道唱歌」に触れます。今では品川駅の発車音になってますが、この歌が当時果たした役割りはたいへんクリエイティヴなものだったのではないかと思います。 というのも、やや過激な言い方をすれば、この歌を作詞した大和田建樹は、大久保利通や伊藤博文が政治の力で大日本帝国をつくったように、筆の力でもって大日本帝国をつくったといえる面があると思うからです。 鉄道唱歌は、大日本帝国という国があって、そこに鉄道が敷設され、その上を機関車が走っている・・・といった静的なものではないと私は思います。今ではそう見えるかもしれませんが。しかし、事実は逆ではないでしょうか。鉄道唱歌は路線を辿りつつ、近代以前は帰属先がバラバラだった歴史や景色を「大日本帝国の歴史」や「大日本帝国の景色」として回収していく旅なのではないかと私は読んでいます。 こうして、国民国家として未熟で国民意識も不確定だった日本に、「これが日本だ!」と端的に示したこの歌は、人々に歌唱される事を通じて、人々の間に「日本と日本人」という意識を植えつけていった、と思うわけです。 - 「鉄道唱歌」と国民意識の発生はあくまで補助線なので、鵜呑みにしないで下さい。もっと詳細に検討する必要があります。現時点ではただの妄想です。 ここで問題にしたいのは、「鉄道唱歌」の果たしたようなクリエイティヴな役割りを明治軍歌も果たしたのではないかという事と、明治軍歌を称揚する人は明治軍歌にあるこのクリエイティヴな面に強い思い入れがあるのではないかという事です。 - 明治軍歌に上述のような国民意識を創造するクリエイティヴな面があるというのは、外国の例を見ても明らかかと思います。対外戦争と国民意識の発生は密接に結びついているからです。 例えば、このサイトでよく訳しているドイツ愛国歌。ドイツに愛国主義が発生し、膨大な量の愛国歌が生産されたきっかけはナポレオン軍によるドイツ侵攻でした。そこからドイツ統一運動も発生するのですが、この過程で「ドイツ人の祖国とは何ぞ」という面白い愛国歌も登場しました。 この愛国歌では、こう問いかけます。「ドイツとは何か?」と。いまだ存在しない統一ドイツを夢想して、「プロイセンか、バイエルンか、オーストリアか?」と諸邦をあげていきますが、それらはドイツではないと否定されます。「否!そんな狭いものではない。ドイツはより大なるべし!」。ではドイツとは何かというと、「ドイツとはドイツ語が話され、我等の忠誠と愛が宿り、フランス人が敵であるところだ!」と結論づけます。 現代人はどうしても、まずドイツというまとまりがあってその中に諸邦があったと考えがちですが、そうではなくてドイツとは後からつくられたものな訳です。だからこそ、愛国歌で「ドイツはこうだ」とクリエイティヴな主張をしなければならなかったのです。「鉄道唱歌」と機能が似ていると思いませんか。 - さて、明治軍歌が・・・といいたいところですが、長くなりすぎましたのでこの辺で止めます。続きは気が向いた時にでも。たぶん飽きてやらないですけど。短くするつもりがこんなことに・・・いや、「鉄道唱歌」にせよ「ドイツ人の祖国とは何ぞ」にせよ、それだけで何時間も語れるネタなのに、無理やりつめこんだのがミスでしたか。 まあ、何がいいたかったのかというと、明治軍歌は国民意識を創造しているんだからクリエイティヴでダイナミックだろう。明治軍歌ワッショイな人はそういった面に惹かれている気がする。そういう人って昭和軍歌を官僚的だとかマスコミの金儲けの手段とか否定しがちだけど、それはすでに国民意識が完成して国民国家が成立しているから当然のこと。だのに昭和にクリエイティヴとダイナミックを無理に求めるとロマン主義になっていきつくところ維新ごっこにしかならない。だから明治軍歌ワッショイな主張って当たり前の事いってるだけでたいして面白くないなぁ・・・って私の無駄に長い文章のほうが面白くないなぁ・・・とそんなところ。 |
2008-8-9 よろしい、ならば戦争だ |
「ポーニョ ポニョ ポニョ 魚の子」が「そーれ そーれ 乳酸菌料」に聞こえる管理人です、こんにちは(挨拶)。 - 個人的には「ポニョ」を歌っている女の子に「紀元二千六百年」あたりを歌って欲しいです。きっとこんな感じになるはず。こういう規律調教された童声萌え。実際の子供なんて煩いだけです。虚構の上に存在するものこそ美しい。それが二次元であれ、近代国民国家の願望であれ。 藍川由美氏はこの平成の時代に「迫る鬼畜の米英を太平洋に叩き込め」とCDに吹き込んだり、コンサートで「万歳ヒットラー・ユーゲント」を熱唱したりと、なかなかキワドイ活動をされておられてリスペクトする事頻りですが、なにぶん年齢が・・・私はロリコンという名の変質者なので何とも歯痒い思いです。出でよ、日本のシャルロット・チャーチ(10代前半限定)。 しかし、宮崎駿監督なら子供に軍歌を収録させる事だって可能な気がします。だって、軍事ヲタでロリk[検閲削除]。何をやっても評価されるということは『ハウル』や『ポニョ』で証明済みなので、児童に軍歌を収録させて劇中で流してもたぶん余裕です。「感動しました!」「全米が泣いた!」 - 今年出版された、唱歌に関する本を2冊読みました。『国家と音楽 伊澤修二がめざした日本近代』と『唱歌と国語 明治近代化の装置』。内容は両方とも、唱歌が近代国民国家としての日本をつくるのに役立った、というもの。流行の権力論ですね。前者は「伊沢修二」に、後者は「文法」に焦点が当たっています。 私の長いだけでまとまっていない感想よりも副題が内容を如実に語っているので、興味のある方はお読みになると良いかと。両書とも専門家による本なので、内容はしっかりしています。 - で、そんな事はどうでもいいのです。いつの間にか、プーチン朝ロシア帝国が戦争状態に突入している件。五輪涙目。まあスポーツ中継なんてクソですからどうなってもいいですが。 野球の放送延長に何度アニメの放送が見送られ、録画が妨害されたことか。他の有象無象も大して変わりません。私はサッカーの国際試合では日本が勝つと街路に暴徒が跋扈するので、いつも全敗することを祈っています。まあ、自分が運動音痴なのを逆恨みしてるだけなんですけども。お陰でグズだとか罵られるのに耐性がつきました。 ただ今回の戦争報道見てて思ったことがひとつ。メドヴェージェフさんの事もたまには思い出してあげてください。 |
2008-8-5 かくなればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂 |
この軍歌Flashがシュール。ジワジワと笑いがこみ上げてきます。 どういう意図でつくられたのかはわかりませんが、また選りによってBGMが「抜刀隊」ですか。小さくなったり回転したりしながら「吾は官軍!」とかいわれても・・・ あと、このニコニコ動画も面白いです。 - ここ数日、ニュースサイトやニュースブログなどの過去ログを読んで日本に居なかった時期の出来事を補完をしています。言わば回想モード。残念ながら年齢制限のかかりそうなシーンはありませんでしたが。 遠征先では滞在期間が短い事もあって、ネットも碌にチェックできずに下宿先と図書館の往復をする毎日でした。なんという不毛な生活。おかげで、対人恐怖症の私でもなんとか乗り切ったと思い込むことができました。 もっとも、店舗などで不意に雑談を振られた時には凄まじく挙動不審になったりしたのですけど。あちらの人って、なぜ他人に突然話しかけるのでしょうか。「2日前からやってるあのイベントはなんだい?」って、そんな事知るわけありません。そういう質問は、東京の有明付近で、8月や12月あたりに訊いて下さい。 それに比べ、日本のコンビニのマニュアル対応ぶりは神。近所のやる気のない店長を崇拝することを私は固く決意しました。 - どうでもいい事ついでにいうと、逆に遠征先で感動したのは大学付属図書館の司書の優秀さでしょうか。こういう文献探してるんだけど・・・というと、すごい勢いで膨大な量の関連文献を集めてくれます。これのおかげで、ますます図書館から出れなくなった訳ですが。 それに比べ、日本の図書館なんてとても受動的です。ウケです。以前、所属する大学の図書館に某国から文献を複写取り寄せして欲しいと依頼したところ、1ヶ月以上も待たされた挙句、「何度もメール送ったんですケド、返信がなくて・・・」といわれて手に入らないなんて事がありました。 確かにややマイナーな言語の国でしたが、せめて電話ぐらいして欲しかったです。メールならコミュニケーション障害者の私でもできるわけで。もっとも、1ヶ月もの間メールしか送らないというやる気のなさに、「さすが我が同胞よ」と今では思うのでありました。 - ・・・初めは、流し読みしていたニュースについて書こうかと思っていたものの、例によってどうでもいい話の連鎖が発生してしまいました。 とりあえず気になったのは、地震の揺れで崩れた蔵書で下敷きになり、死亡した人の話でしょうか。私の部屋も四面本もて囲まれし、て感じなので関東大震災が来たら確実に死にます。 ただ記事を追っていて再認識した事がひとつ。それは、実社会から隔絶した人間がニュースなど読んでも無意味だということ。やはり私にはアキバBlogあたりが向いているようです。 |
2008-7-29 衝動買いしてしまった。軍歌なら何でも良かった。今は反省している。 |
「軍歌=芸術」論はなかなか立証が難しい主張だと思います。何故なら、軍歌にはおよそ芸術的とはいい難い文言が沢山あるからです。「遺恨重なるチャンチャン坊主」「悲鳴を吐くまでやるぞ」「鬼畜米英 断じて斃せ」などなど。 これを回避する為には二つの手段があるかと思います。(1)一つは芸術という概念の再定義をして以上のような文言も芸術的であるとするやり方。(2)もう一つは軍歌の範囲を限定してこの範疇における軍歌は芸術的であるとするやり方。 しかしこの二つの手段にも問題があります。一つ目に関していえば、品の無い歌詞を多く含む軍歌を芸術だと述べる為には相当に芸術という概念を拡張する必要があると思われ、再定義は困難を極めると推測されること。二つ目に関していえば、「軍歌の定義」というこれもまた相当に面倒な作業を求められ、一筋縄ではいかないと考えられること。 以上から、「軍歌→芸術」という命題は説明至難・・・と私は思うのですが、果たしていかに。この問題をどう処理するのかと思って、この本を読みました。以下感想。 - で、結論から言うとただの電波本でした。1000円払った私涙目。 著者の理屈は(1)の芸術概念の再定義です。「いわゆる"戦時歌謡"などと呼ばれる歌を含めた広義なものである」(p48)と述べているので(2)の軍歌の限定はほとんどしていません。 ではどう芸術を再定義しているのでしょうか。著者は芸術を(a)「自発的なもの」、(b)「理屈ではない」と二つの言葉で定義しています(p34)。そして日本の軍歌が芸術であるのは次のように説明されます。すなわち、(a)先ず日本の軍歌は大部分が自発的な愛国心から生まれている。(b)次に日本の軍歌は「質の文明」に基づくので非合理なものである。従って、「自発性」と「非合理」を満たすので軍歌は芸術である、とたぶんそんな感じ。 ちなみに「質の文明」というのは日本だけが持つ特別な文明らしい。いわく、文明には「質の文明」と「量の文明」の二種類があって、「日本民族以外のすべての民族のつくった文明は、量の文明」(p91)なんだとか。万葉集をはじめとした日本の「うた」の文化が軍歌にも流れているので、軍歌も「質の文明」の産物だそうで。 この本の電波たる所以は、軍歌論以前に文明論や芸術論に根拠が薄弱だということ。外国の文明や芸術に対する説明が無いので、論が妥当か比較できないわけです。そしてそのまま根拠となる文明論や芸術論があやふやなまま、軍歌論に入るのでもうグダグダ。 - 次。軍歌について。一言でいえば、著者は軍歌について無知です。本のあちこちで「諸君は知らないだろうから説明してあげるけど・・・」みたいな文言がありますが、自虐ですかこれは。 「海ゆかば」の「大君」を天皇以外に解釈(p95)するのは『万葉集』収録の原詩をみれば不可能なのは明らかです。「父よ貴方は強かった」がつくられたのは「終戦間際」(p144)ではありません。大東亜戦争期の軍歌が「勝つことに重点をおいていなかった」(p241)とかはもうなんとコメントしてよいのやら・・・他にも、「正気」の説明で文天祥や藤田東湖に触れない(p27)なんてのも有り得ません。『広辞苑』を引くぐらいなら小学生でもできます。 こういう誤った知識に基づいて話がずんずん進むので何がなんだか・・・「量の文明」の説明にひかれる僅かな外国の軍歌の解説もめちゃくちゃです。フランスに軍歌がないだとか(p205)、中国の軍歌については「ありがたいことに知識皆無である」(p206)って・・・調べましょうよ。ドイツの軍歌の例として、何故か「Heil Hitler dir」なんてキワドイ歌をもってくる(p147)あたりなど、ドイツに恨みでもあるのでしょうか。しかも訳が間違ってますし。「ドイツは悪夢から目覚める!」って、「erwache」は接続法ですよ。 - まあ、かくいう私も間違いだらけでね、という感じなんですが、1000円無駄にしている訳ですし、書籍にはそれなりの信憑性が求められるべきなので、ずらずらと書いてみました。他にも山のように指摘すべき点がありますが、飽きたのでもういいです。 あ、最後にひとつ。「白髪頭かつるっぱげの鶴のような痩躯の老人が、懐古趣味で独り感傷にふけり、カラオケのマイクを握って自己陶酔の極みのような顔つきで軍歌を歌う光景は、想像するだにおぞましい。」(p30)とか、「[戦後録音の軍歌は]ウヨクジジイが小皿を箸で叩いて歌うにはもってこい」(p105)なんて発言もありましたが、そういう人たちってこういう類の本の読者対象なんじゃないですか。誰に向かっての本なんでしょうか、これは。もう最初から最後まで訳がわかりませんでした。 (なお、この本は『海ゆかば山ゆかば―日本人と軍歌』という本の再版だそうです。すでに持っている方は買わないようにされた方が・・・というより持って無くても(ry) |
2008-7-13 年中休暇の人が、軍歌という歪んだ視点から書いた読書感想文 |
以前掲示板で紹介していただいた、軍歌関連の本、届いていたので読み終えました。せっかくなので、感想文を書き散らしてみました。興味深い本を紹介していただいた方々、ありがとうございました。 - ・歌は波間によみがえれ(南條岳彦) 「別れの磯千鳥」について。 この歌謡は、(1)日米開戦前にハワイ生まれの日系人によって作曲され、(2)戦中は日系人部隊の間で歌われていたといわれ、(3)そして戦後は日本に輸入されてヒットした、という大変面白い背景を持っています。この本は、そんな歌の来歴を探ろうというもの。 戦前につくられたものなので、厳密には軍歌ではありません。 著者は地方のテレビ局の職員で、「別れの磯千鳥」に興味を持って、地道に調べてこの本を書いたようです。各地に飛んで現地取材する行動力はマスコミの人間ならではといったところでしょうか。引きこもりの私には想像もつきません。 ただ、本の内容は「別れの磯千鳥」がメインというより、それを追った著者の取材記といった感じになっています。それゆえ、「〜に行ったが情報は得られなかった。」「次は〜に行って、〜と会った。」といった話が多く、純粋な「別れの磯千鳥」についての情報は本のページ数のわりには少ないです。学術書なら一章か一節でまとめられてしまいそう。 なお、日系人部隊の純粋な軍歌については、英語版Wikipediaの442部隊のページに列記してあります。 - ・フランス革命―祭典の図像学(立川孝一) 大革命後、混乱する世相と権力の空洞化を受けて、次々に移り変わる権力者たちは革命の収束と拠るべき権威の示威を目的として数多の祭典を挙行しました。この本で扱われているのは、1789年の大革命勃発からロベスピエールの恐怖政治までの期間です。 この本では祭典の様子が細かに描かれていて面白いのですが、革命歌についての言及は僅かです。例えば、68頁の「ああ、サ・イラ、ああ、サ・イラ!」、115頁の「ヴォルテールの賛歌」、あと場所は忘れましたが、「カルマニョールの歌」への言及もあったかと思います。 さて、もっとも詳しく触れられている歌は、「最高存在への賛歌」でしょう(pp.242-245)。手元にあるCDを聴いてみましたが、どうやら違う歌のようです。CDは「Hymne de l'Etre Suprême」(最高存在の賛歌)、本の中で触れられているのは、原語表記はありませんが、おそらく「Hymne a l'Etre Supreme」(最高存在への賛歌)ではないでしょうか。前置詞が微妙に違います。 しかし紹介されているこの歌、なかなか過激で楽しいです。 「勝利の矛をおさめる前に/暴君の絶滅を我らは誓う。」 日本はなぜかフランス革命の研究が異様に進んでいるらしいのですが、今度新書で「フランス革命と革命歌」なんていかがですか。 - ・ナショナリズム―名著でたどる日本思想入門(浅羽通明) 本の内容は副題の通り。学術書だけではなく、漫画や大衆小説まで入っているのが特徴。ここでは、軍歌について触れている箇所について幾つかコメント。 著者が軍歌好きを公言しているだけあって、あらゆるところに軍歌が顔を見せます。一番面白かったのは6章で「民族独立行動隊」の歌を取り上げているところ。軍歌というより労働歌ですけど、まあ細かいことは擱いておいて。 この章では、『〈民主〉と〈愛国〉』を下敷きに、(1)「民族独立行動隊の歌」を例にとって、戦後復興期において左翼が「民族」という言葉を肯定的に扱っていたという事実を丁寧に追っていきます。そして(2)高度成長期に入ると、「民族」という言葉は左翼ではなく右翼によって利用される言葉になる、として、その例として「民族の歌」をあげています。私は、この章は思想歌についての章としても読めるのではないかと思いながら読みました。 軍歌をあつかっているのは2章。(1)軍歌や唱歌は、近代国家にふさわしい価値観を植えつける装置、(2)ただ歌詞にリアリティのあった明治軍歌(「戦友」)と、リアリティの欠如した昭和軍歌(「露営の歌」)、小学唱歌といった区別ができる、と。そして章の最後に、軍歌や唱歌の担っていた価値の培養(徳性の涵養)は、戦後になるとアニソンが担うようになった、という指摘は興味深いですが、たった1節だけでは何ともいえません。まあ、本の主題から外れるので指摘にとどめるのは当然なんでしょうけど。 しかし、それ故にこそ今度は「音楽でたどるナショナリズム」でも、出版されることを期待したいです。アニソンの中にも国民性があって・・・というような話は『愛と幻想の日本主義』でも見かけました。流行歌についてはすでに本が出てるんでしょうが、軍歌やアニソンの分析なんかが出た日には・・・「100万回注文したwwww」という感じになるに違いありません。 |
2008-7-8 本当の地獄はこれからだ・・・! |
帰国。 日本暑いよ日本。東京はやはり人が多すぎますね。眩暈がします。何者かに追われているような気がするのは、きっといつもの精神疾患。 あと、やたら駅などに警官が多いような気も。サミット開催の影響でしょうか。制服はいいね。リリンの生み出した(ry もちろん、セーラー服への注視も怠りませんでした。なぜなら、その制服もまた、特別な存在だからです。 - 帰宅。 まっさきに部屋に引きこもろうとした時、こう言われました。 「あ、押入れの奥にあった変な服クリーニングに出しといたから。 あと、変な旗も。」 ・・・何それ? まあそれは兎も角、いざ、我が部屋よ!我が祖国よ! - そして遂に、自室到着。 Wir
kommen wieder!
/\___/ヽ
ヽ なんという中学・高校時代の黒歴史。 - お久しぶりです、みなさま。先日帰国しました。先ずはご挨拶までに。 いろいろ資料の類を持ち帰ってきたので、当分読み込みなどをしてする予定です。軍歌関係は余りないですけども、可能な範囲で集めましたので徐々にサイトに反映されていきたいと思います。 あと、以前から情報をいただいた書籍も届いていたので、これも更新していきます・・・といっても、放置しそうなので、今すこし弄ってみました。こんな調子でやって参りますので、どうぞ宜しくお願い致します。 |
2008-5-7 ちょっと海外逝ってきます |
7月の始めごろまで、管理人は大人の事情により国外逃亡することになりました。しばらく更新できませんが、精神病院入院とか、えいえんの世界への旅立ちとか、新興宗教の修行とかではないです。修行するぞ修行するぞ徹底的に修行すr(ry 生きて帰国できればまた更新しますが、それまでは副管理人その他にここの管理をを委ねたいと思います。 つきましては、上掲の時期(本年7月上旬)までの間、管理人は応対できませんのでご承知おきください。ウェブ拍手はログが流れてしまうため、管理人への連絡は連絡用掲示板かメールをご使用ください。帰国後返信します。 なお緊急に対応が必要な処理については、副管理人が代行する予定です。緊急の連絡については、連絡用掲示板に書き込みして下さい。内容を公開できないものについてはその旨記載していただければ、副管理人その他がその為のメールアドレスを提示します。 |