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癈 人 日 乘
2008年9〜12月 過去ログ

コメントなどあれば掲示板にでも。

 

2008-12-28 わたしについて来なさい。人間(幼女)をとる漁師にしてあげよう

 ここ数日、酒浸りの生活を送っていた管理人です。

 先日、新宿で鼻血が出るほどワインを飲んでいたら会計が凄い事になって、以来、自室で液体を調合して飲むようになりました。鼻血や涎やロリコン話など色んなものを店舗で自在に垂れ流していたので、チャージ料の名目で迷惑料でも取られたのかも知れません。自業自得。

 自前ではもちろん調合の目安などわからないので、液体は適当に混ぜ合わせるだけです。当然、微妙な液体も多く生成されるのですが、そこは適当に「幼女のミルク」とか意味不明な名称を冠すれば、アラ不思議、何故か美味しくいただけ・・・って、こういう話をしているから法外な料金を取られたんでしょうか。私が店の方なら確実に追い出したくなるレベルでした。ごめんなさい。

 ちなみにB52という爆撃機の名を持つカクテルだって存在するのですから、「シュトゥーカ」とか「チハ」とかいう名の調合物もあっていいような気がします。不味そうですけど。私の調合物もその不味さなら負けない自信がありますが。

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 ウェブ拍手のコメントを拝見したら、25日にネタがないとは何たる事ぞ、といったお叱りの言葉がございました。上記の通り、アルコールを嘗めながら論文書いてました。すいません。

 そういえばその日は基督の誕生日(とされた日)でした。しかしテレビを見ず、一般人とコミュニケーションも全く取らない私のような人間にとって、何のことはないただの一日だったような気がします。兎も角、ここがキモヲタのサイトだとしっかり認識されている事がわかり、たいへん嬉しく思いました。

 日記を見たところ、前日の24日はゴスロリ装束を視姦する為に原宿から渋谷まで明治通りを徘徊していたようです。頃日は頭の上に大きな団子をつくる髪型が流行しているのでしょうか。首から上が雪だるまのようで滑稽なのですが。おまけに汚い茶髪から成る、扁平に潰れた団子髪はまるでう○このよう、と全身全霊う○このごとき私は思った次第。

 RPGでは、しばしば付属物に見えるものが真のボスキャラだったりするものです。『クロノトリガー』のラヴォス最終形態とか、『アークザラッドII』のヤグン将軍とか。その連想を推し進めると、彼女たちの頭の上にあるう○こが実は本体なのではないでしょうか。ちょっと攻撃してみたい衝動に駆られましたが、警察呼ばれた後「あれが真のボスだと思ったんです」なんて言った暁には、確実に精神病棟送りなので自重しておきました。

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 他にも色々とネタはあるのですが、アルコールによって意識を喪いかけているので箇条書き。

・おもちゃ売り場に幼女模型を見に行ったら、「三国志ガンダム」なるものを発見。確かに世界に冠たる廃人国家日本では、三国志の武将の二次元女体化にすでに成功していて、「関羽抱き枕」というたいへん誤解を招きやすい言葉さえ通用している訳ですが、こういう組み合わせもきましたか。模型売り場には随分と足を運んでいなかったので全然知りませんでした。サイトはこちら。貂蝉キュベレイはどう見ても二重に原作レイプです。

・軍歌サイトらしい事を最後にひとつ。先月に復刊された『ドイツ第三帝国』(グラーザー)には、「鉤十字の歌」の邦訳があります(174)。最初の二聯の綺麗な訳出はやっぱり難しいなあと思ったり。あと187頁にこんな記述。「人気のあった歌の標題をいくつか抜いて引用してみよう。「ごきげんよう私の恋人よ、夜が明ける」、「シャツは褐色、血は赤い」、「大戦争を前にして、世界の腐った骨はふるえる」、「黄金の夕日が」、「ドイツの娘」、「西部防壁のほとり、バラの木に花咲く」、「われらドイツ人、進軍の準備成れり」、「兵士たることのすばらしさよ」、「イギリスに降る爆弾」、「荒野に一本の小さい花が咲く」、「東の風に旗を掲げよ」、「われらの旗、眼前にひるがえる」、「フィンランドから黒海まで」……。」 こういうの見ると楽しくて仕方ないです。この歌は知ってるとか、知らないとか。こう訳出するのか、とか。もう病気ですね。

 

2008-12-5 君がコミケの売り子なら

 我は自室の警備員。(挨拶)

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 さすがナチス趣味先進国というべきか、日本ではここ10年ほど《ナチス・ドイツにおける音楽》についての研究書や翻訳書が幾つか出ています。なぜか、題名がどれも酷似していて紛らわしい事この上ないですが。典型的なものをあげると次の通り。

第三帝国と音楽(1995)
第三帝国と音楽家たち(1998)
第三帝国の音楽(2000)
第三帝国と音楽家たち―歪められた音楽(2003)

 ただたいへん残念な事に、こういった本で扱われている音楽ジャンルはクラシックやジャズばっかりなのです。確かに『ワーグナーのヒトラー(1999)や『虚構のナチズム(2004)といった本では闘争歌が多少扱われてはいます。がしかし、これは明らかに少数派で、どの本開いてもヒンデミット事件や頽廃音楽展の話ばっかりで私は辟易します。

 もちろん、これらは研究書なので専門家の方はここで行われている細かな議論の応酬を読み取れるのでしょう。私だって、「ふるべんは ふしぎなおどりを おどった!」→伍長「ヘブン状態!!」とか、そういう事ぐらいは知っています。でも細かな話になると無知なので全然理解できません。ジャズに至っては聴いた事すらないので何が議論されているのか皆目見当がつかないという状態。

 中学生の時レコード店に入れば、「JPOP」「JAZZ」「ROCK」等の横文字の傍を通り過ぎて、真っ先に「純邦楽」とかいう怪しげなジャンルのコーナーにひた進み、そこで数枚ある軍歌CDを見つけては狂喜したものです。もっとも、家に帰って聴いては「 ま た 鶴 田 浩 二 か 」と悲嘆にくれ、「しん!みん!われら!」と楠トシエと共に毒電波の世界に旅立ったりした訳ですが。

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 話がずれました。このままではギャルゲと軍歌CDどちらに投資するかで延々と悩んで夜も眠れなかった時の話に進みそうなので元に戻します。

 考えるべきはこういうことなのです、なぜ上掲の本たちは題名に「第三帝国」と入るのか、どうして表紙に「鉤十字」がこれ見よがしにあしらわれているのか。これは他でもなく、日本各地に棲息するナチヲタへの訴求なのでしょう。本屋で鉤十字を見て、その本を開かずにおれるでしょうか。これはナチヲタの悲しき性なのです。

 そうしてみると、《ナチス・ドイツにおける音楽》という主題で扱われるべきは、ナチスの闘争歌であり国防軍の行進歌だという気がします。だって、鉤十字の描かれた本で「音楽」といえば、期待するのはクラシックやジャズでしょうか。いいえ、ナチスです。ナチスの軍歌です。少なくとも私はそう思います。

 実は、以前にも紹介しましたが、ナチ闘争歌に焦点を当てた翻訳書が刊行される予定があったのです。リンク先9巻がそれ。ただこれは1巻が出て完全に停滞しているのでこのまま刊行されずに終わる可能性が濃厚。

 ああ、何かいい本はないものでしょうか。ドイツ語のものは幾つかあるんですけど、それぞれ文学理論や心理学など専門的な議論を基礎にしているので、門外漢にはなかなか読み解くのが大変です。近頃、留学中に見れなかったアニメのまとめ見に忙しいので、しばらく文献漁りはお休みかも知れません。

 

2008-11-26 総統のゲヒルン

>超越人力関係ねえwということはさておき >「今日誰かに会ったら」 妹君にでもお話なさるのですか?w

 「超越人力」のわかる人が居て嬉しい管理人です、こんにちは(挨拶)。最近よく風呂場で歌うので思わず題名にしてしまいました。よく調べてみたら、「遥かな無始の過去から」が正確な歌詞だったようです。

 わからない方はコチラをクリック。京アニは「超越人力」にインスパイアされていると思うのです。これとかも。ハルヒダンスとオウムの関係については20061130日の日記で触れましたが、同じ事を連想したのは私だけではなかったようで。どうでもいいことついでに言うと、新興宗教ソングではこういうのも好み。

 結局あの日は誰とも会わないまま、自室でブツブツ言って終わりました。

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 どうでもいい序に、先日製造した味付卵の画像うp。一週間ぐらい深夜に実験を繰り返した結果の産物です。これぞ現在の哲学者の卵、賢者の石。

 パラケルススという16世紀に活躍したスイス出身の錬金術師は、物質というマクロコスモスにおける黄金変成が、同時にそれに成功した錬金術師の人格完成にも繋がり、延いて宇宙全体というマクロコスモスの向上にも繋がるという、万物照応の世界観を提示しました。それに照らせば、私の味付卵生成もまた、人格の完成、全宇宙の向上に貢献したに違いありません。・・・そんな事を食べながら考えていました。

 そういえば最近気付いたのですが、私は大学院という名のサナトリウムに入院していたのでした。そろそろ修士論文なるものを仕上げなければなりません。海外逃亡したり、仮病使って長期欠席したりと現実逃避に励んでいましたが、そろそろ年貢の納め時といったところでしょうか。無所得なので年貢納めてませんけど。

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 まあ三次元の話は擱くとして、今日のお言葉。フランケン大管区の指導者であった、ユリウス・シュトライヒャーがベルリン大学で教授や学生を前にして発言したものです。

 「天秤の皿の一方に大学教授全ての脳を載せ、もう一方に総統の脳を載せたとする。その時、どちらの方に皿が傾くと諸君は思うかね?」(Wenn man [...] die Gehirne sämtlicher Universitätsprofessoren in die eine Wagschale legte und das Gehirn des Führers in die andere, welche Wagschale, glauben Sie, wird sich senken?)

 この発言は邦語文献ですと『ナチズムと大学』や『第三帝国の社会史』などに載っています。ドイツ語原文のバリエーションは幾つかあるのですけど、ここではウェブから拾ってきたものを訳出してみました。

 ご覧の通り電波な発言ですが、しかし「人命は地球より重い」とかいう迷言と大して違いはないかもしれません。ただ、話を訊くなら断然シュトライヒャーさんの方が面白そうです。ちなみにシュトライヒャーさんは元小学校教師でした。

 

2008-11-9 人は誰でも持っている〜みんなの心に持っている〜 遥かな不思議の過去から〜持っているぅ〜

 帝都も突然寒くなりました。気がつけば11月。今日はミュンヒェン一揆が華麗に鎮圧された日ですね。女性問題で窮地にたたされた博士が水晶の夜を引き起こしたのも1この日でした。世間的には9.11の方が有名かもしれませんが、ナチヲタ的には11.9を覚えておきたいもの。

 2001年に例のテロが起きた時も、「そんな事より、それを逆にした119日は・・・」と高校で長広舌を揮って随分と顰蹙を買いました。休み時間、私が昨晩クリアした泣きゲーの顛末を思い起こして人生について熟慮していた時に、普段話もしない体育会系の連中が声をかけてきたから何かと思ったものです。

 てっきり私の机の上に転がっていた同人誌を冷やかしに来たのかと思って、「これ児女子の知るところにあらざる也!」というかっこいい台詞を用意して身構えていたら、テロ事件の感想を訊かれただけで萎えました。学校が休みにならない事件なんて低気圧より価値がないです、というだけではつまらないのでミュンヒェン一揆や水晶の夜事件についてお話し。以後卒業まで彼らと会話をする機会は訪れませんでした。めでたしめでたし。

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 もっとも、11月のような冬場になるとコタツという人類廃人化計画のための使徒が光臨されて、低気圧なんか関係なく休みまくっていましたが。冬場のコタツは危険すぎます。おかげで今年も布団とコタツの間の往復で冬場の日々が終わりそうです。

 そして、この季節になるといつも思い出すのが白居易の「日高く睡り足るも猶ほ起くるに慵(ものう)し」の句。たった7文字に真理が宿っています。白楽天の詩には、徴兵を逃れる為に自ら腕をおった老人の話もありました。その老人が腕を折ったのが24歳の時。私と同じです。私も迫り来る義務から如何にして逃れようかと日々思索中。

 最近何故か読まれているらしい『蟹工船』の中に、働かない人が楽をして働く人が苦しむ日本の様子をジェスチャーして共産主義を宣布しようとするロシア人が出てきますけど、こんなの欺瞞としか思えません。どうせ実現しない理想を掲げるなら、全員が働かなくても良い社会を夢想した方がよほど健全だと思うのですがどうなのでしょうか。

 それより、新潮文庫版では同時に収録されている『党生活者』の内容の方が興味深いです。出てくる主要な女性キャラは全て主人公に恋愛感情を抱いているって、どこのギャルゲーですかこれ。こういうの読んでかつてのマルクスボーイたちは肉体オルグを夢見て上京してきたわけですね、分かります。

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 話がずれましたが、一揆の勃発したミュンヒェンを擁するバイエルンは今でもたいへん地元志向が強く保守的な地域です。だからナチの基盤になったとの指摘もあるのですが、地元志向は必ずしもナチにとって好ましいものでもなく、伍長の大ドイツ志向が他の国粋団体から叩かれた事も度々ありました。

 強力な近代国家をうまく運営(特に戦争)する為には、そういう地元志向の郷土愛を近代国民国家の愛国心に何とか改竄しなければなりません。それに失敗した典型が第二次大戦時のヘタリーで、ムッソリーニが頑張ってファシスト体制を築いたものの、地元志向が抜けきれずうまく国民を動員できませんでした。

 ナチは近代国家統合の象徴として「民族」という曖昧模糊とした概念を持ち出します。英国の「議会制民主主義」、フランスの「市民革命」、米国の「独立戦争」などと比べれば随分わかりにくく血生臭い象徴です。戦前日本の家父長的な天皇制に近いかもしれません。

 しかしナチの思想を「面白く」しているのもこの「民族」という電波概念のおかげでもあるわけです。伍長と同じく国外生まれのローゼンベルクが持ち出した北方人種とかいう荒唐無稽な概念も、強迫観念的な反ユダヤ主義も、何とか「民族」という言葉に血や肉を与えようという足掻きとも取れます。空疎な象徴だとうまく郷土愛を昇華させることができませんから。

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 なんかどうでもいい事を書いていたら長くなりましたが、私はどうやらこの足掻きの跡を採取するのが趣味のようです。そんな事をふとコタツの中で思いついたと言う、それだけのことでした。今日誰かに会ったら言ってみようと思います、「今日は119日でミュンヒェン一揆が起きた日なんだけど、ミュンヒェンは今でも・・・」と。

 

2008-10-29 ドイツ軍歌の資料なくしたオタワ

 机周辺が汚すぎて貴重な資料がなくなってしまいました。/(^o^)\ナンテコッタイ

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決定盤!!「日本軍歌」ベスト 今月8日に発売されたポニーキャニオンの軍歌CD(決定盤!!「日本軍歌」ベスト)ですが、なぜかどこにも情報があがりませんね。このCDについては以前にメールで情報をいただいていたのですけど、どうも曲目がメジャーすぎて触手・・・じゃなくて食指が動きません。

 そもそもパッケージデザインと題名にセンスが無さ過ぎます。私の普段着のようです。右のパッケージ見てください。小学生の自由課題でももうちょっとマトモなものがつくれそうな気がします。題名も悲惨の一言。「決定盤」や「ベスト」がついた軍歌CDが本当に決定盤やベストだった事は、少なくとも私の経験では一度もありません。

 その中でも「精鋭なる我が海軍」はちょっと聴いてみたいと思っていたら、なんと1曲単位でダウンロード販売をしているではありませんか。試聴もあります。軍楽隊有志なんて書いてありますからキングの出身者モノみたいなものかと思っていたら、随分と良い音源で驚きました。

 せめてもっと珍しい曲を混ぜてくれれば・・・と惜しい気がします。「雄叫」や「海軍軍歌」から珍しい軍歌20曲を選んで男声合唱団に収録させれば3500円ぐらいで売れると思いますけど。

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 戦前の気違い音源を愛好している私としては、来月発売される「SP音源復刻盤 信時潔作品集成」に注目しています。曲目はこちら1CDあたりの曲数が不自然に少ないのでまだ追加があるのではないかと思います。ていうか、このままだったら枚数詐欺です。エロゲの初回得点じゃないんですから、ちゃんと1CDあたり20曲は収録してください。

 気になるのは断然5枚目。国民合唱の一発目として発表された「此の一戦」も収録されるようです。この曲は週報の280号に楽譜つきで掲載されていますが、大政翼賛会の標語をひたすら繰り返す危な気な曲です。はじめ見た時吹きました。

「コノ一戦 コノ一戦 ナニガナンデモヤリヌクゾ ヤリヌクゾ コノ一戦 コノ一戦 ナニガナンデモヤリヌクゾ ヤリヌクゾ コノ一戦 コノ一戦 ナニガナンデモヤリヌクゾ ヤリヌクゾ」

 なにか新興宗教な香りがします。「修行スルゾ 修行スルゾ 徹底的ニ修行スルゾ」みたいな

 

2008-10-6 100円の大義

 先日紹介した『音楽を動員せよ―統制と娯楽の十五年戦争』の著者が編著でかかわっている本が今月出版されるようです。タイトルは『総力戦と音楽文化 音と声の戦争』。リンク先のアマゾンのページを見ると、今月8日に発売とのこと。書籍の詳細はこちら。論集ですね。

 上記のリンクから研究会のサイトにたどり着きますが、どうやら駒場や早稲田で定期的に面白そうな会合を持っているようです。次回は11月。ログ見てても垂涎の内容ばかり。学会誌発行してないんでしょうか。当日のレジュメだけでも見てみたいものです。

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 別の話題。例の瀕死抜刀隊の続編がyoutubeにあがっていました。

加藤隼戦闘隊

 「抜刀隊」で歌詞を間違われた御仁がこちらでも華麗に登場。相変わらずの老人会カラオケモード。カンペをチラ見する姿に、見ているこっちがいつ間違えるのかとハラハラさせられます。あと、途中から歌いだす女性の声量が圧倒的で、御仁が完全に空気化するというおまけつき。

 後半もカメラは情け容赦なく、女声に圧倒されカンペをチラ見しまくる御仁の英姿を捉えて離しません。編集がサディステックすぎます。

東京陸軍少年飛行兵学校校歌

 アイドル歌手もびっくりの口パクぶりです。たまに思い出したかのように指揮らしき手をあげますが誰も見てはいません。ここでもカメラワークが秀逸の一言。がら空きの客席にピースサインで口パクとか、鬼畜のキワミ。「もうやめて!客席の観客はゼロよ!」

 更に、向かって右側にいる女性が、時おり指揮者に冷たい視線を放っています。「私なんでこんなところにいるんだろう・・・」

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 最後に写真。新幹線載ったら隔離されたというお話。


無人

 これはあれですか、前回利用した際に周囲に誰もいないことをいいことに、ipod聴きながら首をブンブン振り回して、フルトヴェングラー化していたところを車掌さんに目撃されたからですか。それとも平日の昼間なんてこんな感じなのでしょうか。理解しかねますが、引きこもり的にはたいへん有難い環境でした。

 なお途上の古書店で杉本五郎の『大義』初版を100円でゲット。安いので買ってしまいましたけども、考えてみればこんな本2冊も要りません。きっと書籍から発せられる電波に中てられたのでしょう。観賞用、保存用で、あと1冊揃うと布教も可能。唯一神がどうだとか書いてありますので、きっと著者は又吉イエスと仲良くなれる筈。万古、唯一ネ申を仰げ。

 

2008-10-3 これこそあるべき軍歌の研究書

音楽を動員せよ―統制と娯楽の十五年戦争 (越境する近代 5) (越境する近代 5) 『音楽を動員せよ―統制と娯楽の十五年戦争』。日本の軍歌関連でこれほど優れた単行本を読んだのは初めてかも知れません。興奮して一気に読み上げてしまいました。読書ノートをつくり、事典を傍らに備え、線引きし、付箋を貼り、再三再四読み返すに値する本だと思います。

 虚構の皇国blog様で紹介されているのを見て、買ったのはいいものの、積んだままだったのは失態でした。売り切れ確実の、初回得点つきゲームを予約しておかなかった時以来のミスです。軍歌は芸術云々といった電波本を読んで騒いでいる場合ではありません。

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 「戦時期の大衆歌謡全般の呼称だが、[...]「軍歌」「戦時歌謡」「軍国歌謡」などの呼称が自然に用いられている。ただその定義は使用者によってまちまちであり、統一した客観的な基準に乏しい便宜上の呼称であることは留意しておきたい。」(144)

 「客観的」・・・、「客観的」!日本の軍歌を扱った本や文章にこれほど欠けているものが他にあったでしょうか。軍歌を扱った本や文章はたいてい、願望と事実が混同されています。つまり、「軍歌はこうあって欲しい」という願望と、「かつて軍歌はこうであった」という事実の混同。この混同が現地調査や一次資料の裏付けに基く叙述を幾たび台無しにしてきたことでしょう。

 著者は何度も「客観的かつ科学的に考察することが肝要」(256)であることを強調しています。本書のもっとも優れた点は、このストイックなまでの学問的態度です。煩瑣を厭わぬ先行研究への言及、そして一次資料の重視。精緻かつ厳密。註を読むだけで心が躍ります。

 250頁の記述を見るに、どうやら左に彎曲している人の中にも「世代」や「イデオロギー」に拘ってめくらになっている人がいるようです。左右問わず、世代やイデオロギーはいらない子。著者は国民歌について続刊を予定中との事で、戦争責任なんかはどうでもいいので、この精密な学問的態度に基く軍歌本が再び世に送り出される事を期待して止みません。

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 当サイトの関心から見ると、3章と4章が特に面白い箇所です。「国民歌謡」の成立事情やその後の展開についてはすでによく知られていますが、豊富な叙述や注釈によって新しい発見が幾つもありました。例えば、「国民歌謡」とその後続である「国民合唱」との性格の相違点(135-136)や、「国民歌」という言葉の定義(149)など。

 「[...]単純に比較はできないにしても『国民歌謡』が流行歌排撃を背景としていたのに対し、『国民合唱』は積極的に流行歌の要素を取り入れて国民の支持を得ようとしていたことがわかる。」(p135)

 「国民合唱」はただの後続番組かと思っていましたが、そうではないんですね。登場する人物も多種多様なので、より理解を深める為に一度書き出したりして整理する必要がありそうです。兎に角、註をはじめ細かな記述が楽しい本だと思います。

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 最後に、著者の視点の鋭さは次のような指摘からも確認できます。新保祐司『信時潔』について、「[...]結局は「海ゆかば」と『海道東征』だけで「鎮魂」をキーワードに信時を論じたものであり、音楽家・信時潔の一面だけの拡大解釈を迫る問題作」(235)である、と。

 「鎮魂」。この二文字は、幾つかの軍歌本を見るに、死者を担保にすることで論述の甘さを糊塗する事に利用されている気がします。著者のようなストイックな学問的態度に則った軍歌関連の書物が多く刊行されれば、趣味者としてこれ以上の喜びはありません。

 

2008-9-28 俗謡調歌曲の翻訳

 さきほど、幾つか軍歌の翻訳をしていたのですが、途中で投げ出してしまいました。俗謡といいますか軽音楽といいますか、ああいう徴兵された兵隊が娑婆から持ち込んだような歌の翻訳は難しくて仕方がありません。

 なぜというに、どう日本語に表現していいのか全く分からないからです。私には俗謡や軽音楽の類の知識が完全に欠落しています。ろくに触れたこともありません。日本も海外も含めて。ですから、この類の曲はどのように翻訳していいのか皆目検討がつかないのです。毎回悩むこと頻り。

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 高校の時、英語の教師がビートルズの「イマジン」の原詩を配って、自由に和訳せよという課題を出した事がありました。ビートルズなど歴史の知識でしか知らない私は、「想像(おも)え、天はあらじと。為さばこれ易し。しもに地獄なく、かみには空のみぞある」なんてとんでもない訳を出してしまいました。半分は冗談でしたけど、もう半分は本当にどう訳せばいいかわからず、悩んだ末の苦肉の策でした。

 しかも、あとで配られた「想像してごらん」で始まる公式の訳詩を見て、何か受け付け難い嫌悪感を覚えるという始末。あの歌詞がやや電波だったのが原因なのかもしれませんが、一般人の世界に背を向けて幾星霜、ついにここまで来たかと思ったものです。もちろん絶望ではなく歓喜と共に。

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 私の中にインストールされている歌詞は、古典や近代詩、兵隊ソングの類を除く軍歌、アニソンやゲームソング、という3つ。3つ目のアニソンが唯一の救いです。とはいえ、あとの2つの方が量では圧倒的。なにせ軍歌だけで覚えているものは3ケタあるわけですから。文学者が戦時下に大量生産した国策詩の類も含めると凄い量になるかと思います。軍歌3ケタ暗記なんてのは軍歌趣味の人にとって珍しくもない事ですけども、偏向ぶりでは私は珍しい事例かもしれません。

 ですので、ナチのプロパガンダ音楽みたいな全体主義系の歌詞は割りと訳しやすい、というか妄想で日本語化できてしまう一方で、英米系の軍歌(帝国主義称揚や国王賛美系は別)や各国の兵隊ソングの類の訳は困難を極める事きわめて切なわけです。よく、国策音楽は歌詞が空疎なんて言われますが、私からすると「兎追ひしかの山」の方がよほど空疎。山ってどこにあるの?

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 どうしてこうなかったかというのは、単純に小学校で一般人とのコミュニケーションに失敗して、「あいつらの聴く音楽は劣等だ」と都合のいい妄想を抱いて、そのまま改めることもなく偏向の道を進んだからでしょう。これに、「自分の聴いている音楽は優等だ」という妄想まで併発すると、「軍歌は日本文化の精華、JPOPはクズ」という、畢竟すれば「優れた音楽を聴き分ける自分はエライ」という、ただの自己栄光化の幻想まで一直線です。自虐癖のおかげでこの道は回避できましたが。

 私にとって軍歌の魅力とは何よりマイナーであることです。誰も顧みない見捨てられたもの。もし、まずないでしょうけど、軍歌が再び人口に膾炙するような事があれば、私はこの趣味を放棄するに違いありません。

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 とにかく、以上のことを一言でまとめるとこういうことです。俗謡調は嫌いなんで訳が適当な上に遅い、と。もっとも、掲示板やウェブ拍手でご指摘を賜った部分については適宜修正しております。実はこういうメンテに結構手間がかかって更新が鈍かったりするのですが。

 

2008-9-16 軍歌のタクソノミー

 暇なので戦前の朝日新聞を読んでいましたら、「最初に出来た軍歌は「抜刀隊」」という永井建子の文章を見つけました。1932514日朝刊9面。なぜか作曲者が「仏人ブルー氏」になってますけど、Lerouxを読み間違えたのでしょうか。永井はルルーに師事していた上、フランスに留学もしていた筈ですが・・・

 それは兎も角、朝日新聞は戦前の紙面をデータベース化しており、ソフトさえ手に入れれば簡単に記事の内容を検索できてたいへん便利です。これがあると私のように薄汚い冊子の縮刷版なんて読む気が起きません。軍歌ヒットメーカーの毎日新聞もはやく戦前紙面をデータベース化してください。

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 で、ためしに朝日の戦前紙面データベースで「軍歌」や「戦時歌謡」といった言葉を検索してみました。案の定、軍歌という言葉はかなり適当に使用されており、他の「軍国歌謡」といった言葉と明確に区別されていませんでした。

 例えば、「護れ大空」(「太平洋よ大陸よ」)は1937222日朝刊10面では「昭和の軍歌」に分類されている一方で、1938103日朝刊6面では「軍国歌謡」に分類されています。両方ともラジオ放送の内容を伝える記事ですが、分類の根拠は謎。

 ちなみに「戦時歌謡」という言葉もごく僅かながら使用されているものの、「おもひ出の戦時歌謡」(1937826日夕刊3面)というかたちでなんと明治の軍歌が分類されています。例をあげれば、「日本陸軍」「戦友」「橘中佐」「勇敢な水兵」「喇叭の響」「元寇」「雪の進軍」などなど。これは現在使用されている「戦時歌謡」とはまったく別物の言葉と思ったほうがよさそうです。

 今我々が使っている「戦時歌謡」という言葉が定着したのは櫻本富雄氏によると「1970年代ころ」だそうで(『歌と戦争―みんなが軍歌をうたっていた』、17頁)。60年代すでに「戦時歌謡」と題するレコードが出ているので、10年ほどでこの言葉が定着していったのでしょうか。朝日の戦後紙面を見ると、1969年に「軍歌・戦時歌謡集」という言葉が見えます(220日夕刊「軍歌に脚光」)。

 戦後、古関裕而が「露営の歌」など民衆に歌われた歌は「戦時歌謡」であって「軍歌」ではないなんてことをいっていますが(1980年の自伝『鐘よ鳴り響け』、日本図書センター版、89)、「露営の歌」は立派に「軍歌」と銘打たれてコロムビアより1937年に販売されています。なのに、1995年に出たコロムビアの『軍歌戦時歌謡大全集』で、「進軍の歌」は「昭和の軍歌」に収録されて、「露営の歌」は「戦時歌謡(一)」に収録されているのは一体何故なんでしょう。古関の意を受けたものなのか、戦後に定着した分類に流されたものなのか・・・結局、こうしてCDの収録を通じて恣意的な分類が益々定着していってるのではないかと推測されます。

 そもそも戦後、軍歌レコードやCDの製作に携わっている長田暁二や八巻明彦といった諸氏がすでに「戦時歌謡」という分類を自明のこととしてしまっている辺りに原因があるのかも知れません。軍歌についてかなり細かい検討をされている藍川由美氏も『これでいいのか、にっぽんのうた』の79頁を読む限り、この分類についてはそれほど関心がないようです。まあこういうどうでもいい分類に拘るのは私のような変質者だけということですね、わかります。

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 例によって話が逸れてしまいました。朝日の戦前紙面を見る限り、「軍歌」という言葉の使用頻度が一番多いです。「軍国歌謡」「戦時歌謡」などは明らかに劣勢。新聞紙面以外にも音楽雑誌やレコード会社の目録、公文書なども閲する必要はありますが、やっぱり軍歌など戦時下の歌曲についての分類は、少なくとも一般大衆にとっては、曖昧だったのではないかと思ってよさそうな気がします。

 同じような分類問題はドイツ軍歌にもありまして、MarschliedKampfliedSoldatenliedParteiliedFeierliedなど整理しだすとこれも厄介です。ナチ時代の音楽を研究する海外の学者もこれらをひっくるめて呼称する際に様々な用語を用いるなどして苦心しています。例えば、GemeinschaftsliedMassenliedPropagandaliedNS-Liedなど。Bekenntnisliedなんてのも見かけました。

 そもそもWikipediaなどを見る限り、各国で歌曲の分類の仕方がかなり異なっています。Songs about the militaryなんて日本語の「軍歌」に比べるとだいぶ不自然な言葉ですし・・・軍歌のタクソノミーなんてのも面白いかも知れません。

 見るべき史料は山のようにありますし、所蔵場所もわかってますけども、それ以上に外に出たくありません。人と接したくありません。こうやって自室でだらだら垂れ流す事こそ至高。嗚呼、あらゆる史料がウェブで閲覧できるようになればいいのに。

 

2008-9-5 ゆっくりした結果がこれだよ

 9月です。高校までは二学期の始まりということで苦月などといっていましたが、今の私にはただの時間の経過に過ぎません。いいさいいさ、ゆっくりでいいさ

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 しかし、先月末はなぜか高校生の夏休みの宿題の手伝いをさせられていました。どうやら8月31日まで何も手をつけていなかったそうで。何という磯野カツオ。「ねぇねぇ、イタリア語でカツオって発音すると何て意味になるか知ってる?フヒヒ」とかいってたら、「早くやれよこのニート」と罵られてしまいました。反論できません。ごめんなさい。

 課題は『源氏物語』から任意の人物を選んで、解説して感想を述べよ、というもの。当初は「髭黒の大将 〜ブサイク大勝利!〜」でいこうと思ったのですけど、一瞬でボツにされました。却下(一秒)みたいな。ネタが古いですか。

 そもそも、『源氏物語』は高校生の課題としてはたいへん不適切のような気がします。幼女拉致監禁のみならず、寝取り寝取られの世界ですから。天皇が主人公に寝取られた挙句、そのNTRの結果生まれた子供が次の天皇に即位・・・って、儒学者が読むと間違いなく発狂するストーリー。

 結局、無難にまとめたものを奉ってきました。斜め読みすると「働きたくないでござる」と読める仕掛けでも組み込もうかと企みましたが、ばれると怖いので何もせず。しかも、レポートを渡す時に「イタリア語で「乾杯」ってどういうか知ってr」と訊こうとしたら案の定無視されました。マザーテレサいわく、「愛の反対は無関心」。

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 しかし最近の課題図書ってどういうものが選ばれてるんでしょうか。私は中2の時に課題図書が自由選択だったので、『我が闘争』の感想文を提出した黒歴史があります。今風に言えば中2病。

 そういえばその年、書道では「無敵皇軍」とか書いていた気が。しかも、書き直しを求める教師に、「「無敵皇軍」という言葉は、全然「無敵」ではないのに「無敵」と自称しているところに諧謔性がある。これはイデオロギーではなくユーモアだ」とか意味不明なことを職員室で喚き続けた末、展示が許可されたというおまけつき。もはや中2病というよりキチガイさんですね。

 話がずれました。課題図書。

 大学一年の時、たぶん「文字と素材」がテーマらしい講義を受けていました。楔形文字と粘土板とかそういう古代の話が中心だったんですけど、私は『変体少女文字の研究』について感想を書いたような気がします。講義全否定ですね。確か本の内容は、少女たちが使う「丸文字」の原因は、横書き用紙とシャープペンシルの芯の硬化にあるとかいうものだったかと。

 それをきっかけに「少女」と名のつく本を集めだしたのですが、幾つか面白い本に出会うことができました。澁澤の『少女コレクション序説』を読んだのもこの時。『少女古写真館』という本は、巻末にある対談がCool。少女写真の良さについて熱弁する著者を対談相手が「おまえが変態なだけ」と全否定していきます。何という一般人の反応。かくて逸般人は「千万人と雖も吾往かん」の覚悟を固めるのであります。

 でもたぶん一番危ない本は青弓社の『少女論』でしょうか。何が危ないかって、表紙が。リンク先では良く見えませんが、実物ではいろいろなものが良く見えます。

 また話がずれたのでこれぐらいで。高校まではよく知りませんが、大学の場合何を書いても大体大丈夫だったりします。かつて、「ソクラテスについて書け」という課題に、「ソクラテスはさておき、プラトンは・・・」と以下全部プラトンについて書いたレポートを出した人もいたぐらいですから。

 

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