ドイツよ目覚めよ |
別題:嵐、嵐、嵐よ!(Sturm, Sturm, Sturm!)、 嵐の歌/突撃歌(Sturmlied) 発表(完成):1923年 |
作詞:ディートリヒ・エッカルト(Dietrich Eckart) 1919-1923年 |
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| 1. 嵐、嵐、嵐、嵐、嵐、嵐よ! 楼から楼へと警鐘を鳴らせ! 火の粉を放ち始めるまで鳴らせ、 背信者が帝国を奪わんと現れたのだ! 綱が血に染まるまで鳴らせ! 地獄の劫火と死屍の最中で、 救国の復仇の轟たる響きのもと、 大地が決起するを告げよ! 未だ眠りたる民に災いあれ! ドイツよ、目覚めよ!目覚めよ! |
1. |: Sturm, Sturm, Sturm, Sturm, Sturm, Sturm! Läutet die Glocken von Turm zu Turm! :| Läutet, daß Funken zu sprühen beginnen, Judas erscheint, das Reich zu gewinnen, Läutet, daß blutig die Seile sich röten, Rings lauter Brennen und Martern und Töten, Läutet Sturm, daß die Erde sich bäumt |: Unter dem Donner der rettenden Rache! :| |: Wehe dem Volk, das heute noch träumt! :| |: Deutschland, erwache, erwache! :| |
| 2. 嵐、嵐、嵐、嵐、嵐、嵐よ! 楼から楼へと警鐘を鳴らせ! 告げよ、青年も老人も少年も、 眠る者は閨より出でよと。 告げよ、少女は階段より降り、 母らも揺り篭のもと離れよと。 この響きは鳴動して天を貫き、 復仇の雷鳴の下翔けよ、翔けよ! 告げよ、死者さえ墓より出でよと! ドイツよ、目覚めよ!目覚めよ! |
2. |: Sturm, Sturm, Sturm, Sturm, Sturm, Sturm! Läutet die Glocken von Turm zu Turm, :| Läutet die Männer, die Greise, die Buben, Läutet die Schläfer, aus ihren Stuben, Läutet die Mädchen herunter die Stiegen, Läutet die Mütter hinweg von den Wiegen. Dröhnen soll sie und gellen die Luft, |: Rasen, rasen am im Donner der Rache, :| |: Läutet die Toten aus ihrer Gruft! :| |: Deutschland, erwache, erwache! :| |
| 3. 嵐、嵐、嵐、嵐、嵐、嵐よ! 楼から楼へと警鐘を鳴らせ! 蛇は放たれた、悪しき寄生虫が! 同胞よ、その鉄鎖たる愚行と虚偽も 醜悪なる閨の金銭欲も砕かれた! 燃ゆる空は血潮の如く赤く、 破風は震え潰え去る。 打てよ響けよ、礼拝堂の上に 龍は吼えて堂を崩さんと撃ち叩く! 今こそ嵐への鐘を鳴らせ! ドイツよ、目覚めよ!目覚めよ! |
3. |: Sturm, Sturm, Sturm, Sturm, Sturm, Sturm! Läutet die Glocken von Turm zu Turm, :|* Los ist die Schlange, der Höllenwurm! Torheit und Lüge, Kamerad, seine Kette, Gier nach dem Gold im scheußlichen Bette! Rot wie von Blut st'het der Hinmmel in Flammen, schauelich krachen die Giebel zusammen. Schlag auf Schlag, die Kapelle ,auf sie! |: Heulend peitscht sie in Trünmer der Drache! :| |: Läutet zum Sturme jetzt oder nie! :| |: Deutschland, erwache, erwache! :| |
<備考> |
[1.曲について] - 作詞者ディートリヒ・エッカルト(1868-1923)は、トゥーレ協会に詩人兼ジャーナリスト。トゥーレ協会は、イエルンを中心とした南部ドイツで大きな影響力を持っていた反ユダヤ主義をとなえるオカルト団体で、ナチ党の全身組織「ドイツ労働者党」の設立を支援した組織でもあります。この協会のメンバーには、他にローゼンベルクやヘス(のち副総統)らがいました。 ローゼンベルクやヘスがヒトラーに与えた思想的影響は無視できないものがありますが、特にエッカルトの影響は甚大でした。エッカルトは、バイロイトにいたヴァーグナーの子孫たちとも交流があり、ヒューストン・スュチュアート・チェンバレンが唱えていたヴァーグナーの人種主義的な解釈をヒトラーに提供したといわれています[1]。 エッカルトはヒトラーを「ドイツの救世主」だと見込んで、様々な知識を与えたり、ナチ党で指導者になれるように後押ししたりと支援を惜しみませんでした。結果、ヒトラーも『我が闘争』を彼に捧げるほど、感謝の意を示しています。(右の写真がエッカルト) - さて、この詩はまず1919年に上掲の2番がにつくられ、次に1921年に上掲の3番、そして1923年に1番がつくられ、最終的に1923年に上掲の順番に組み替えられました[2]。1921年、ナチ党員だったシュトゥットガルトのハンス・ガンサーによって作曲され、ヒトラーに献呈されています。ガンサーはこれ以外にも幾つかの闘争歌の作曲を手がけています[3]。 この闘争歌の歴史は古く、ナチ党の草創期から歌い継がれてきたものでした。それゆえ、ホルスト・ヴェッセルの歌が大々的に喧伝されるまでは、突撃隊の歌の代名詞ともなっていました。 - エッカルトは、最後に歌詞を付け加えた1923年に死去します。この年はミュンヒェン一揆勃発の年であり、エッカルトも参加して逮捕されますが病気を理由にすぐ釈放され、そのまま病没しました。 彼の歌詞の中にある「ドイツよ目覚めよ」はナチの枢要なスローガンとして彼の死後もドイツに蔓延る事になるのでした。 - <脚注> - [2.訳について] Strum,Sturm,Sturm 「Sturm」の数と、「Läutet die Glocken von Turm zu Turm」の部分がない点が、上掲の歌詞と異なります。ただし、音源(1)では上掲ではなくこちらに掲載したものにより近いかたちとなっています。 また掲載するに当たっては、音源の聴き取りに基づき歌詞の一部を修正しています。ただし私の聴き取りが正しいわけではありませんので、ここにそのままの文章を転記しておきます。 - [3.音源情報] 音源(2):こちらは、ゲルハルト・ヒュッシュによる吹込み。掲示板での音源提供に感謝いたします。 皇紀2665年11月20日更新 |