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エーアハルト行進曲
Ehrhardt-Marsch
1920

作詞:エーリヒ・テスマー(Erich Teßmer)
作曲:セオドア・モース(Theodore F. Morse)

 

1.
戦友よ、手を握ろうぞ、
我等は固く団結せん。
たとえ敗北したとしても、
この魂は断じて消えはしない。
(繰り返し)
1.
Kam'rad reich mir die H
ände,
Fest woll
´n zusammen wir steh´n.
Mag man uns auch bek
ämpfen,
Der Geist soll nicht verweh'n-
Kehrreim.
(繰り返し)
鉄兜の鉤十字、
そして黒・白・赤のリボン。
エーアハルト旅団と
我等は呼ばれるものぞ。
Kehrreim:
Hakenkreuz am Stahlhelm,
Schwarz, wei
ß, rotes Band-
Die Brigade Ehrhardt
Werden wir genannt.
2.
誇らしく我等は星章と
我等の髑髏を掲げる。
袖にはヴィーキングの文字、
頭には皇帝の冠。
(繰り返し)
2.
Stolz tragen wir die Sterne
und unsern Totenkopf-
Wikingerschiff am
Ärmel,
Kaiserkron im Knopf-
Kehrreim.
3.
たとえ裏切られようと、
過酷な試練に追われようと、
我等は使命を忘れなかった。
そう、祖国への忠誠を。
(繰り返し)
3.
Hat man uns auch verraten,
trieb mit uns Schindluderei,
wir wu
ßten, was wir taten,
blieben dem Vaterland treu.
Kehrreim.
4.
間もなく諸君は悟るだろう、
我等に夢中になることに。
戦友よ、手を握ろうぞ、
かつての我等が誓いは何ぞ。
4.
Bald werd't auch ihr erkennen,
was ihr an uns verlor'n.
Kam'rad reich mir die H
ände,
was wir uns einst geschwor'n:
胸に秘めたエーアアルト精神は
決して滅びはしない。
エーアハルト旅団は
いずれ復活を果たすのだ。
Ehrhardts Geist im Herzen
kann nicht untergeh'n,
die Brigade Ehrhardt
wird einst aufersteh'n!

 

<備考>

[1.曲について]
 1919年に設立された代表的なフライコーアのひとつ、エーアハルト海兵旅団(Marinebrigade Ehrhardt)の為につくられた闘争歌です。

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《作詞・作曲の由来》 この闘争歌は1920年、元下士官で旅団の隊員であったエーリヒ・テスマーによって作詞されました。作詞された場所もわかっていて、今日では戦車博物館で有名になっているニーダーザクセン州ムンスターの近くです[1]

 作詞者は長らく知られていませんでしたが、1933年に鉄兜団の調査により突き止められました。ナチの文献には清貧に甘んじたなどという人物像が描かれていますが眉唾で、更なる調査が必要な部分だと思われます[2]

 曲はアメリカ軍歌「ブルーベル(1904)の譜を流用。この旋律を用いたのは、アメリカ人を母に持つエルンスト・ハンフシュテングルがこのアメリカ軍歌を持ち込んだ為だといわれています[3]

 こうして出来た「エーアハルト行進曲」[4]は、同1920年のゼダン・テンネンベルク祭典[5]にてお披露目されました。この祭典はおそらく、普仏戦争のゼダン戦勝利(1870)と、第一次世界大戦のタンネンベルク戦勝利(1914)を記念して開かれた行事だと思われます。(右写真はハンフシュテングル)

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《闘争歌の雛形に》 この闘争歌は発表されるや瞬く間にドイツ全土に広まり、多くの政治団体で替え歌にされました[6]。もしかするとお披露目された祭典には、エーアハルト旅団だけではなく多くの組織が参加していてこの歌を耳にしたのかもしれません。また、替え歌はエーアハルト旅団の人員を吸収した組織でも行われました。

 具体的には、トゥーレ協会が設立母体となった「オーベルラント義勇軍」(Freikorps Oberland)[7]、ミュンヒェン一揆後レームが結成した「前線隊」(Frontbann)、エーアハルト旅団を引きづいた「ヴィーキング団」(Bund Wiking)、最大のフライコーア「鉄兜団」(Stahlhelm)など[8]がこの歌を替え歌にしています。(「鉄兜団」のものについては「鉄兜団行進曲」を参照。)

 替え歌の方法は共通で、「Die Brigade Ehrhardt」の部分を自らの組織名や自称代名詞に代えただけです。例えば、

Freikorps Oberland
Werden wir genannt.
(
オーベルラント義勇軍と我等は呼ばれる者ぞ)

 という風に。「エーアハルト行進曲」は、このように各組織の闘争歌の雛形ともなったのでした。

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《ナチスによる替え歌》 もちろんナチスによっても替え歌にされ、「戦友よ、手を握ろうぞ」という歌詞を一部変えただけのSA闘争歌がつくられた他、歌詞を全面的に改めた「ヒトラーの歌」(Hitlerlied)という闘争歌もつくられました[9]

 「エーアハルト行進曲」の歌詞をご覧になればお分かりの通り、「鉤十字」のマークはナチの専売特許ではなく民族主義の団体では反ユダヤの象徴として用いられていました。

 なお、ナチスはこの曲を使ってSAの闘争歌をつくっただけではなく、政権獲得後には「ドイツ万歳」というプロパガンダ歌謡も製作しています。今日では、この最後の「ドイツ万歳」がもとのもとであるアメリカ軍歌よりも有名になっている観があります。狭い狭い、とてつもなく狭い、軍歌趣味界隈限定の話ですけど。

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<脚注>
[1] Bajer, Hans "Ruhmesbl
ätter in der Geschichte des SA.-Liedes" in Die Musik XXIX/3(1936) S.170. 正確な地名はMunsterlager
[2] ibid, S.171.
[3] Roth, Alfred
Das nationalsozialistische Massenlied: Untersuchungen zur Genese, Ideologie und Funktion Würzburg: Königshausen und Neuman, 1993, S.74.
[4] Roth(1993)
では「Ehrhardt-Marsch」としている。Bajer(1936)では「Ehrhardtlied」となっている。ここでは典拠を明示しているRoth(1993)に従った。
[5] Bajer(1936)より。「Sedan-Tannenbergerfeier」。Roth(1933)では「Sedanfeier」とする。「Sedanfeier」は「Sedantag」としても有名。Bajerが捏造する理由も見当たらないので、同時代人の証言としてこちらを採用した。
[6] Bajer, S.170.
[7] Roth, S.74.
[8] Bajer, S.170.
[9] ibid, S.171.

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[2.訳について]
 繰り返し部分の

Hakenkreuz am Stahlhelm,
Schwarz, wei
ß und rotes Band-

 という箇所は、エーアハルト旅団の制服を述べた箇所です。すなわち鉤十字のマークが描かれた鉄兜、そして制服を飾る黒白赤のリボン。

 後者のリボンの訳出に当たっては、後藤@横浜様のご指摘を賜りました。ありがとうございます。

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[3.音源情報]
 音源不詳。

2008年8月15日更新
同年10月23日誤訳訂正

 

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