黄金色の夕陽 |
作詞:カール・ハインツ・ムシャラ(Karl Heinz Muschalla) |
[訳文・解説] [原典・楽譜] |
| 1. 黄金色の夕陽 その最後の光放つ時、 ヒトラーの連隊は、 小邑に歩を進めり。 |
1. Als die goldne Abendsonne Sandte ihren letzten Schein, |: Zog ein Regiment von Hitler In ein kleines Städtchen ein. :| |
| 2. 唄声は悲しみに暮れ、 街の静寂に響けり。 そは げに墓へと ヒトラーの同志を送るゆゑに。 |
2. Traurig klangen ihre Lieder Durch die stille, kleine Stadt; |: Denn sie trugen ja zu Grabe Einen Hitlerkamerad. :| |
| 3. 遠くの母へも亦 最後の挨拶を送りぬ。 君が息子は敵弾に 胸貫かれ斃れしと。 |
3. Und der Mutter in der Ferne Sandten sie den letzten Gruß, |: Daß ihr Sohn mit Stolz gefallen, Durch das Herz traf ihn der Schuß. :| |
| 4. 旗は墓へと身を垂れ、 風に強く閃けり。 怒りを胸に誓ひしは ヒトラーの同志の為の報復なりき。 |
4. Trotzig wehten ihre Fahnen, Als sie senkten ihn ins Grab, |: Und sie schwuren grimmig Rache Für den Hitlerkamerad. :| |
| 5. 君は徒に散るにあらず、 新たに君に連隊は誓ふ。 三度 銃声は音を立てつ。 彼は、アドルフ・ヒトラーに忠実なりき。 |
5. Du bist nicht umsonst gefallen, Schwuren sie es ihm aufs Neu, |: Dreimal krachten dann die Salven, Er blieb Adolf Hitler treu. :| |
| 6. 黄金色したる朝日 その最初の光放つ時、 ヒトラーの連隊は 闘争へとまた歩み往きけり。 |
6. Als die goldne Morgensonne Sandte ihren ersten Schein, |: Zog ein Regiment von Hitler Weiter in den Kampf hinein. :| |
<備考> |
[1.曲について] 作詞者のカール・ハインツ・ムシャラはホルスト・ヴェッセルと同い年で、1907年の3月23日、ベルリンで生まれました。ヴェッセルと違わず彼もまた若くして政治運動に挺身し、1924年、レームが結成した前線隊(北)(Frontbann-Nord)に参加しています。前線隊はミュンヒェン一揆の結果禁止されたSAの隠れ蓑となっていた組織で、実質的にSAと変わりません。ナチ党の禁が解かれてのち1926年、ムシャラはナチ党にも入党しています。党員番号は41910。ベルリン大の学生であったヴェッセルも同年SAに入隊しています。 - それに遡る1年前の1925年の8月9日、ムシャラと同じく前線隊に所属していたヴェルナー・デレがユダヤ人に殺害されるという事件がおきました。その葬儀の際に、デレを追悼する為に歌われたのが古い軍歌の「私にはひとりの戦友がいた」でした。ムシャラはこれを聴き、突撃隊(葬儀の時点で前線隊はSAへと改組)のための独自の追悼歌の必要性を感じ、作詞を行なったといいます。 そして推敲を重ね、ふさわしい曲を古謡の中から見つけて取り出し、この「黄金色の夕陽」をつくりあげたのでした。 - 完成した追悼歌は翌1926年、共和派の武装組織「国旗団」(Reichsbanner)に殺害された同志を追悼する場ではじめて公開されました。この時、最初に歌い始めたのがのちハイドリヒ暗殺を受けてベーメン・メーレン保護領の総督になったクルト・ダリューゲであったといわれています。この時より、この追悼歌は別名「墓を越えて進め」(Über Gräber vorwärts)ともいわれるようになりました。 ムシャラはこの追悼歌の他にも、幾つかSAのために闘争歌を製作しています。 - <参考文献> <関連ページ> - [2.訳について] - [3.音源情報] 皇紀2665年8月21日更新 |
[訳文・解説] [原典・楽譜] |