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私のモスクワ
Моя Москва
1941年頃

作詞:M・リシアンスキー、S・アグランヤン(М. Лисянский и А. Агранян)
作曲:イサーク・ドゥナエフスキー(И.Дунаевский)

 

音源:外部リンク

1.
世界のさまざまな場所へ行ってきた
森に、塹壕に、洞窟に
愛するものとは別れなければならず
二度ほど地面に埋まりさえした
しかし我々は誇り高き者達
いかなる場所でも、どんな時でも繰り返す
「愛する黄金の首都、私のモスクワ」
1.
Я по свету немало хаживал,
Жил в землянке, в окопах, в тайге,
Похоронен был дважды заживо,
Знал разлуку, любил в тоске.
Но везде я привык гордиться,
И везде повторяю слова.
"
Дорогая моя столица, Золотая моя Москва. "
2.
モスクワ郊外の林が好きだ
川にかかる大きな橋が好きだ
赤の広場が好きだ
クレムリンの塔が好きだ
遠く離れた町や村でも
モスクワの事はいつも話題に上る
「愛する黄金の首都、私のモスクワ」
2.
Я люблю подмосковные рощи
И мосты над твоею рекой.
Я люблю твою Красную площадь
И кремлёвских курантов бой.
В городах и далеких станицах
О тебе не умолкнет молва.
"
Дорогая моя столица, Золотая моя Москва. "
3.
つらい秋を思い出す
唸る戦車、きらめく銃剣
28人の勇敢な戦士達
我らの心の中で永遠に生き続ける
敵は我々を降伏させられなかった
奴等は街に到達できなかった
「愛する黄金の首都、私のモスクワ」
3.
Мы запомним суровую осень,
Скрежет танков и отблеск штыков,
И в сердцах будут жить двадцать восемь
Самых храбрых твоих сынов.
И врагу никогда не добиться,
Чтоб склонилась твоя голова.
"
Дорогая моя столица, Золотая моя Москва. "
4.
モスクワに翻る栄光の旗
勝利を祝う民衆
我らが愛する最強の街
スターリンの住む場所
我々はいつまでも誇りに思う
この栄光は何世紀も先まで語り継がれる
「愛する黄金の首都、私のモスクワ」
4.
Над Москвою знамена славы,
Торжествует победу народ.
Здравствуй город Великой Державы,
Где любимый наш Сталин живет.
Будем вечно тобою гордиться,
Будет жить твоя слава в веках.
"
Дорогая моя столица, Золотая моя Москва. "

 

<備考>

[1.曲について]
 大祖国戦争におけるモスクワ防衛線をテーマにした軍歌です。ここで登場するモスクワ防衛二十八士について、邦訳を投稿いただいた少佐様より次のような解説をいただいたので転記させていただきます。

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 1941年11月半ば頃(16日または18日と思われます)、場所はヴォロコラムスク市近郊。イヴァン・パンフィーロフ将軍率いる第316師団に属する、とある対戦車小隊の29人がドイツ軍の大規模な戦車部隊と交戦しました。

 小隊指揮官はヴァシリー・クロチコーフ政治指導員で、戦闘の結果29人全員が戦死するも、ドイツ軍戦車約50両を撃退したという事になっています。これらソ連兵のうち一名は戦闘中怖気づいて戦意を失い、他の兵士によって射殺されたとの事で、この一名は二十八士には数えられておりません。

 この話は当時「クラスナヤ・ズヴェズター」紙に掲載された新聞記事で、同時に戦死したクロチコーフの最後の言葉とされる勇ましい台詞(全員が戦死したのに誰がいつ、どうやって伝えたのか等は不明)も掲載され、大いに宣伝されました。 28人には死後、ソ連邦英雄の称号が与えられています。

 しかし、割とすぐに28人は全員が戦死したのではない事が判明し、生存者の中には捕虜となりドイツ軍に協力した者もいた事がわかりました。戦場となった場所には二十八士を讃える像が建てられ、現在も残っているようですが、28人の名前のリストは後に書き直されたりしているようです。どこまでが真実で、どこからが付け足された虚飾なのかよくわからない伝説ですが、11月16日には該当戦域で実際にドイツ軍2個機甲師団による攻勢が撃退されており、ソ連軍が奮戦したのは確かなようです。

 余談ですが、師団長のイヴァン・パンフィーロフ将軍は同じ頃、司令部を迫撃砲弾に直撃され死亡しています。 彼は防衛戦闘の手腕で高い評価を受けており、その死は上位の指揮官からも部下からも悔やまれたとの事です。

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 いつも良質な邦訳と解説、ありがとうございます。

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[2.訳について]
 先述の通り、本訳詞は少佐様より投稿いただいたものです。

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[3.音源情報]
 外部リンク先参照。

2009年9月22日更新

 

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