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2665年12月24日 ◇「男たちの大和 YAMATO」感想 先週あたりから一般公開されている映画「男たちの大和」を先日見てきました。以下に私の感想を述べます。なおネタバレが存分に含まれますのでまだ見てない方は注意です。 - この映画、大和の活躍を追っていく戦前編と、それを懐古する現代編(「老人と海」編(笑))が交差するような感じでつくられています。 「戦前大和」編は基本的には素晴らしい出来です。最大の見せ場の戦闘シーンなんて特撮技術の精華。あれはCGじゃなくて、雰囲気から察するに全部模型使ったのでしょう。邦画っぽくていい感じです。 ただちょっと事実を無視しすぎ。あと想像で補った箇所も多過ぎますね。なんで一般人が戦艦大和の存在を知ってて、しかもどこに出動するかまで把握してるんだw あと主要人物を活躍させすぎのような気もしました。近代戦の凄惨さと言うのは沖縄への水上特攻の途中で、米機の機銃掃射をうけて次々に殺されていくような個々人なんて存在しないが如きところにあるわけです。なのに、どうして特定の下士官や水兵だけが都合よく最後まで生き残るのでしょうか。まさにああいった「ドラマ」すら生まれないところに近代戦の本質なのですから、あれは余計でした。無理やり感動シーンを作ろうとしている点が逆効果になっているような気がします。 - さて、もう一方の「老人と海」。製作者側からすると、実はこっちの方がメインかもしれません。というのも、この映画のなかで最大に主義主張があらわれているのがここだからです。ただの特撮映画におわらせないぞ、という意気込みを感じます。 つまり、「老人と海」編に出てくる3人の人物はそれぞれ、戦争経験者の第一世代(老年)、直接は経験していないものの親を通じて関連している第二世代(中年)、まったく関連もなく興味も持たない第三世代(青少年)を表徴しているのでしょう。この3名は「戦前大和」を回顧する事で、最終的に大和沈没地点で「敬礼」するに至ります。 で、この第一、第二、第三世代が「戦前大和」を回顧して「敬礼」に至る構図というのは、要するに映画館を訪れている第一、第二、第三世代の観客がこの映画を通じて「敬礼」に至るように暗に誘導しているというわけです。 「戦前大和」編の壮絶な戦闘、悲劇、それに伴う感動を特定の思想へと連関をつけようとしている訳ですから、これは思想主張が強いといわなければならないでしょう。 - ただ成功しているかどうかは別問題ですけど。演技も含め、実際あの「敬礼」シーンはちょっと滑稽ですよね。特に第三世代を代表する少年なんてほとんど背景が描かれないままで、じいさんにつられて敬礼ですから・・・そのあと、船を操縦するというのも、「戦争経験を知って祖先を苦労を知った若者が、次代を担おうと決意する」とかいうものの象徴なんでしょうけども、やや無理がないですか、そんな単純にはいかんでしょう。 事実、あの第三世代を象徴する少年と、現に第三世代である私の間には様々な差異が横たわっています。これを完全に映画に生かしきるのは無理でしょう。ですから「老人と海」編なんていっそ消してしまって、「戦前大和」編を事実に即して淡々と描いたほうがよかったと思います。その時、ただ単に「敬礼」する以上の何かが観客のうちに宿ったように思われますから。 敢えて大東亜戦争、そして戦艦大和を選んだのですから、ただの感動モノにしてしまっては意味がありません。離別や死別の感動は普遍的にあり、今もあるものですが、大東亜戦争と戦艦大和の沈没は歴史的事実であり、過去に一度しかないものです。それ故、たとえ一般的な「感動」に欠ける事があったとしても、事実を延々と描いていく描写は異なった種類の感情を観客に与えただろうと私は推測します。 - というわけで、映画全体の構造はあんまり評価できませんでした。ただ戦前の描写に関しては一部余計なものがあるとはいえ及第点となるでしょうか。これが私の感想です。 - 参考関連リンク ・男たちの大和
YAMATO 公式サイト ・決定版 男たちの大和〈上〉 辺見じゅん著 映画のタネ本。 -
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