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頌歌 八紘之基柱
皇紀2665年11月17日更新

作詞:北原白秋

 

前知識

 宮崎市に今もある「八紘一宇の理想」を記念した「八紘之基柱」(あめつちのもとはしら)。皇紀2600年(1940年)にあわせて建造されました。こちらに壮麗な画像があるので参照してください。その他、検索すると幾らでも写真つきの情報が出てきます。

 敗戦後は「平和の塔」なんていう戦後風な名前に改変されたそうですが、ど真ん中には「八紘一宇」の文字が健在です。

 この歌はその「基柱」を記念して同じく皇紀2600年に白秋が作詞したもの。曲がつけられたかどうかは不明です。

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 ちなみに東京オリンピックの時の聖火リレーはこの「基柱」のある宮崎市内の公園から発進して帝都に向かったのでした。ナチスの考案した聖火リレーに「八紘之基柱」。なんか凄い光景です。

 

 八紘之基柱は、紀元二千六百年慶典記念として、皇国無窮の大理想を永遠に造形し、亦一億同胞の感激と赤心をも象徴するものである。而も神国日向、皇祖御発祥の聖地、神武天皇御東征前の宮趾と伝へられる皇居屋の北、海抜二百尺の丘上八紘の台に建つ。総高百三十尺、荘厳無比である。日名子実三氏の設計にかかる。

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天に聳ゆる基柱、
 い行きはばかる白雲の夜はほのぼのの裏縹。
 仰げや今に鎮もらす我が肇国の遙けさを。
  仰げや今に鎮もらす我が肇国の遙けさを。

天に聳ゆる基柱、
 厳の石位ここにして崇く神さぶま清けさ、
 げに一柱、幣の霊ふる直きその相。
  げに一柱、幣の霊ふる直きその相。

天に聳ゆる基柱、
 直射す朝日常受けて、夕日の日照る国、日向。
 御祖の御稜威神ながらかくこそ坐しき畏くも。
  御祖の御稜威神ながらかくこそ坐しき畏くも。

天に聳ゆる基柱、
 皇居屋に永く高領らし、暉まさるみ慶と、
 正しき足らし養ひて在り経ましたる跡どころ。
  正しき足らし養ひて在り経ましたる跡どころ。

天に聳ゆる基柱、
 出で立ちましし天皇のかの海道の水脈にして、
 げに見はるかす潮沫の末は煙らふ和田の原。
  げに見はるかす潮沫の末は煙らふ和田の原。

天に聳ゆる基柱、
 ああ八紘おほらかに宇と掩はむ大御言、
 さながら承けむ大やまと、また天地と窮みなく。
  さながら承けむ大やまと、また天地と窮みなく。

天に聳ゆる基柱、
 挙げてぞ築く国民の産ぶ御魂の磐城や
 拍手うてば直正面にひびく反響のかの鉄扉。
  拍手うてば直正面にひびく反響のかの鉄扉。

天に聳ゆる基柱、
 篝火映ゆる玉垣の四方の瑞垣とこしへに、
 太しく立たせ、ゆるぎなき底つ岩根を礎と。
  太しく立たせ、ゆるぎなき底つ岩根を礎と。

天に聳ゆる基柱、
 茜たなびく旗雲の、今、日に向ふ朝ぼらけ、
仰げやいよよ高照らす天業の弥栄を。
  仰げやいよよ高照らす天業の弥栄を。


文中の「遙」は之繞に「貌」。
同じく文中の「沫」は三水に「區」。

 

参考

白秋全集 歌詞の典拠。
日本書紀 神武天皇の「八紘を掩ひて宇にせむこと、亦可からずや」の発言の典拠。なお「古事記」にはこの言葉が掲載されていません。

高千穂幻想―「国家」を背負った風景 「基柱」についての説明もあり。
天孫降臨の謎―日本建国神話に隠された真実

 

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