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軍歌趣味の弁解 軍歌という趣味について、思ったことを少し。 - 軍歌趣味とは虐げられている趣味です。この趣味を持つものは周囲から必要以上の説明責任を求められ、苛まれます。 その結果、軍歌を趣味とする者は以前から自らの立場を弁解する為の説明を用意してきました。私は主に3つあるように思います。つまり、 1)政治的なもの。例)「英霊の鎮魂・・・」など の3つです。 - しかしながら私はこの3つに同意できないものを感じます。というのも、現在私が軍歌に対して接触している世界とは懸け離れてしまうと思うからです。 先ず(1)の政治的なものだと、右翼なら兎も角、大衆レベルまで拡大した場合、一部の軍歌は容認されても他の大多数のものは排除されるでしょう。例えば「ホルスト・ヴェッセルの歌」「米英撃滅の歌」など。 次に(2)の文化的なものだと、文学的にみて価値がないものが排除されてしまいます。例えば昭和の戦時歌謡の類、ナチスやファシストのプロパガンダ曲の類がそうです。 最後に(3)。これは一見、あらゆる歌が保存されるように見えます。しかしこれだと軍歌が「死蔵」されてしまうのです。軍歌は図書館深くに眠り、一般人の手の届かないところで埃を被る事になるでしょう。第一、研究者でもない者にとっては弁解として役に立ちません。 私はナチのプロパガンダ曲も、明治の名軍歌も昭和の稚拙な戦時歌謡も、ソ連や北朝鮮の軍歌も好きです。私のような人間には以上のような3つの説明は使う事が出来ません。 - ではいかなる「説明」がありえるか。私はあくまで「趣味である」という説明でいいんじゃないかと思っています。 この説明は確かに弱いです。相手を納得させるのは難しいかもしれません。とはいえ、日本という国ではこの趣味の表明によって秘密警察に拉致されたり、人民裁判にかけられたりすることは有りません。そういった意味では、軍歌趣味対する「虐げ」など大したものではないと思います。日本はこのような趣味にも寛容なある意味で「成熟」した国なんですから。 私は大袈裟な説明を掲げて優位な地位を求め、逆に自縛に陥るよりも、多少の非難はあれ、また劣勢ではあれこのような趣味も許される今のままで良いと思っています。 - 勿論、こういった「趣味」はイノセンスなものではありません。更に言語化を要する事もあるでしょう。 最近ではこういった需要が多いのか、この分野の研究も漸く進み始めたような気がします。ひとつに「オタク論」の流行が揚げられます。ものの本によると、SF→アニメ→ギャルゲーとオタク文化は進んできたらしいですから、軍事の一支流である軍歌は勿論、傍流に過ぎません。とはいえ、軍歌の属する軍事カテゴリはオタク文化の中では重要な支柱の一つであり続けている事は、少しでもオタク文化の中に分け入ってみれば分かる事です。 中には日本におけるナチス趣味を前面から取り上げた『ヒトラーの呪縛』(佐藤卓己編著、飛鳥飛社、2000年)という本も出ています。この本はナチス趣味の分野に先鋭に切り込んだ画期的な名著だと思いますが、私は軍歌趣味を言語化するにはむしろ、こういった「オタク論」関連の文献に当たるほうがよいのではないかと最近思っています。 最終的には「政治」に関わらざるを得ないような気もしますが、少なくとも従来使い古されたロジックには同意できない私には、ここにしか活路がないようです。 了 - |