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北原白秋「海道東征」
歌詞・解説・注釈

1940

作詞:北原白秋
作曲:信時潔

[音源情報] [歌詞読解]

 

はじめに

 以下は私が作成した海道東征の歌詞に関する調査メモです。引用元や語句の意味、歌詞の概要などを調べたものなどから成っています。(現在未完成。今のところ引用元の調査中心)

 詩のもとは『白秋全集』(岩波書店)によっています。ただしこれも完璧ではないので、各資料をつき合わせて掲載します。問題の箇所についても、適宜以下で指摘していくつもりです。

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◇成立背景

 『海道東征』は、日本文化中央連盟の嘱託のもと、皇紀2600年奉祝の芸能祭の為に北原白秋作詩、信時潔作曲で作成された長大な交声曲(カンタータ)です。

 白秋は作詩当時、眼病を患っていた影響でものを読むことが出来ず、妻子の手を借りて、口述により『海道東征』を仕上げました。これは相当作詩には支障があったようで、白秋本人も「非常な災厄だ」と述べています。

◇構成

 白秋の考えでは『海道東征』は、天地開闢から神武建国に至るまでの神話を歌い上げる予定だったようです。ところが「第7章 白肩の津上陸」までで予定の分量を超過しそうであった為、急遽本来なら最後に持って来る筈であった「第8章 天業恢弘」をつけて、今に見る『海道東征』が完成したのでした。

 その結果、『海道東征』は「神武天皇讃歌三部作」の初篇と位置づけられる事になります。白秋はこれに続く二部、三部を企画していた訳ですが、1942年の病没により、遂に日の目を見ることはなくなってしまいました。

◇その他情報

 『海道東征』はレコード8枚に吹き込まれた後、英独の訳をつけて独伊仏洪の4国の音楽家に送られられたようです。この日本語としても難解な『海道東征』が、いかなる訳となったのかは興味深いところです。残念ながら、手元にその資料がないのですが。

◇原資料について

 1941年3月16日と18日に分けて「福岡日々新聞」に掲載された白秋執筆の「『海道東征』について」という記事によると、『海道東征』に用いられた資料とは、

 「古事記、日本書紀、祝詞、風土記、宣命等」

 との事。このうち、「祝詞」については、「大祓詞」と「祈念祭」が少なくとも含まれている事が、現代判明しています。

 資料で手頃なものについては参考文献に記載してありますのでそちらの参照してください。

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2009/5/23追記

 「海道東征」の解説については、戦前すでに次の解説が出ていました。

 風巻景次郎 『海道東征註』 靖文社、1943年。

 これは素晴らしい解説書なので、以下のものよりもこちらを参照して下さい。

2005718日更新

 

だいいっしやう たかちほ
第一章 高千穂
 第一章は神武東征に至るまでの、主に神日本磐余彦尊に繋がる系譜の神々の活躍が述べられています。
男声(独唱竝に合唱)

かみましき あをぞらとともにたかく
神坐しき、蒼空と共に高く、
みみましき すめらみおや
み身坐しき、皇祖。
  はるかなり わがなかぞら
  遥かなり我が中空、
  きはみなし すめらむすび
  窮み無し皇産霊、
  いざあふげ よのことごと
  いざ仰げ世のことごと、
  あめなるや たかきみあれを
  天なるや崇きみ生を。

<天地開闢から神代七代>

・皇祖・・・天皇の祖先の意味だが、基本的に天照大神を指す。しかしここが天地開闢から神代七代を歌っているとすれば、天之御中主神ら別天津神の可能性がある。 

・皇産霊・・・「むすび」(「むすひ」とも)はものを産み出す力のこと。高皇産霊尊、神皇産霊尊の2神も存在するが、この2神は「むすび」を神格化したもの。ここでは単に力としての「むすび」を歌っていると思われる。

・ことごと・・・「悉く」の意か。
・み生・・・神代記「葦牙の如く萌え騰る物によりて…」などを想起か。

*遥・・・実際の字は「貌にしんにょう」。この章、すべてこれに同じ。

くになりき わたつみのしほとわかく
国成りき、綿津見の潮と稚く、
こりなしき このくにつち
凝り成しき、この国土。
  はるかなり わがくにうみ
  遥かなり我が国生、
  おぎろなし あめのぬぼこ
  おぎろなし天の瓊鉾
  いざきけよ そのこをろに
  いざ聴けよそのこをろに、
  おほやしま あがるとよみを
  大八洲騰るとよみを。
<伊邪那岐、伊邪那美2神の国産み>

・「天の瓊鉾」・・・神代紀「廼ち天之瓊鉾を以て、指し下して探る」

・「こをろ」・・・神代記「かれ、二柱の神天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画きたまへば、塩こをろこをろに画き鳴りて引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島と成りき」

みすまるや あまてらすかみのみすゑ
皇統や、天照らす神の御裔、
よよましき ひむかすでに
代々坐しき、日向すでに。
  はるかなり わがたかちほ
  遥かなり我が高千穂、
  かぎりなし ちへのなをり
  かぎりなし千重の波折、
  いざほげよ ひのたださす
  いざ祝げよ日の直射す
  うみやまの いてるみやゐを
  海山のい照る宮居を。
<天孫降臨、日向三代>

・「日の直射す(たださす)」・・・神代記「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前に真来通りて、朝日の直射す(たださす)国…」(天孫降臨後の邇邇芸命の言葉)

かみましき ちいほあきみづほのくに
神坐しき、千五百秋瑞穂の国、
すめぐにぞ とよあしはら
皇国ぞ豊葦原。
  はるかなり わがはつくに
  遥かなり我が肇国、
  きはみなし あまつみわざ
  窮み無し天つみ業、
  いざたたせ はやひがしへ
  いざ征たせ早や東へ、
  みちたらせ みうつくしびを
  光宅らせ玉沢を。
<神武東征へ>

・「光宅(みちた)らせ」・・・神武紀「余謂ふに、彼の地は、必ず以て大業を恢弘べて、天下に光宅(みちた)に足りぬべし」(東征前の神日本磐余彦の言葉)

・「玉沢(みうつくしび)」・・・神武紀「而るを、遼遥なる地、猶未だ玉沢(みうつくしび)に霑はず」(東征前の神日本磐余彦の言葉。なお本文中の「遥」の字は「貌にしんにょう」の字の代用)

 

だいにしやう やまとしぼ
第二章 大和思慕
 二章は、東征の目的地・大和についての描写。引用源に、東征とは時代を異にする日本武尊の歌があります。
女声(独唱竝に合唱)

やまとくにのまほろば
大和は国のまほろば、
たたなづく あをがきやま
たたなづく青垣山。

ひんがしや くにのもなか
東や国の中央
とりよろふ あをがきやま
とりよろふ青垣山。

うるはしと たぞこもる
美しと誰ぞ隠る、
たぞあもる そのいはふね
誰ぞ天降るその磐船

かなしよ しほつちのをじ
愛しよ塩土の老翁
きこえさせ そのやまとを
きこえさせその大和を。

やまとはも ききうるはし
大和はも聴美し、
そのくもゐ おもひはるけし
その雲居思遥けし。

うるはしのやまとや
美しの大和や、
るはしのやまとや
美しの大和や。

・「大和は国のまほろば、たたなづく青垣山」・・・景行記「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山隠る 倭しうるはし」(倭建命の国思歌)/景行紀「倭は 国のまほらま 畳づく 青垣 山籠れる 倭し麗し」(景行天皇の思邦歌)

・「国の中央(もなか)」・・・神武紀「蓋し六合(くに)の中心(もなか)か」(東征前)「蓋し国の墺区(もなか)か。」(東征後)

・「磐船」「塩土の老翁」・・・神武紀「抑又、塩土の老翁に聞きき。曰ひしく、『東に美き地有り。青山四周れり。其の中に亦、天磐船に乗りて飛び降る者有り』といひき」(東征前の神日本磐余彦の言葉)

 

だいさんしやう みふなで
第三章 御船出
 三章は日向の美々津より船団が出発する時の様子を述べています。
 「その一」「その三」はおそらく、万葉集の著名和歌を想起してつくったものだろうと思われます。
 「その二」は主に神武紀から。
男声(独唱竝に合唱)

その一

ひはのぼる はたくもの とよのあかねに
日はのぼる、旗雲の豊の茜に、
いざみふね いでませや うましみみつを
いざ御船出でませや、うまし美々津を。

うみなぎぬ かぎろひの ひがしにたつと
海凪ぎぬ、陽炎の東に立つと、
いざゆかせ てりぐはし そのうみつぢ
いざ行かせ、照り美しその海道。

うみなぎぬ あさぼらけ しほもかなひぬ
海凪ぎぬ、朝ぼらけ潮もかなひぬ
ともへつぎ おおみふね みふなでいまぞ
艫舳接ぎ、大御船、御船出今ぞ。

<出発の様子>

・「旗雲の豊」・・・万葉集「海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ」(中大兄皇子)

・「陽炎(かぎろひ)の東に立つ」・・・万葉集「の野にかぎろひの立つ見えて かへりみすれば月傾きぬ」(柿本人麻呂)

・「潮もかなひぬ」・・・万葉集「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今はこぎ出でな」(額田王)

その二

あなさやけ かむやまといはれひこ そのみことや
あな清明け、神倭磐余彦、その命や、
あなはやる もろもろのみこたちや そのいろせや
あな映ゆし、もろもろの皇子たちや、その皇兄や。

いでませや おほらかに おおみいくさ
いでませや、おほらかに大御軍、
まだくらし はるけきは あらきにあへり
まだ蒙し、遥けきは鴻荒に属へり。

みめぐみを すめみおや かくつみましき
慶を皇祖かく積みましき、
ただしきを としのむた やしなひましぬ
正しきを年のむた養ひましぬ。

かむがらや いくよろず としふりましき
神柄や、幾万、年経りましき、
みひかりや かつかさね よよましましぬ
暉や、かつ重ね、代々坐しましぬ。

にぎみたま またやはせ やだやすらと
和み霊、また和せ、ただ安らと、
あらみたま まつろはぬ いざことむけむ
荒み霊、まつろはぬいざことむけむ。

おほみいつ いてらすと みふなでなりぬ
大御稜威い照らすと御船出成りぬ、
ひのみこや みほことり かくたちましぬ
日の皇子や、御鉾とり、かく起ちましぬ。

<出発の様子。そして祖先の偉業回顧と出征の決意>

・「まだ蒙し〜坐しましぬ」・・・神武紀「是の時に、運、鴻荒に属ひ、時、草昧に鍾れり。故、蒙くして正を養ひて、此の西の偏を治す。皇祖皇考、乃神乃聖にして、慶を積み暉を重ねて、多に年所を歴たり。」(東征前の神日本磐余彦の言葉)

・「和み霊」「荒み霊」・・・神后紀「和魂は王身に服ひて寿命を守らむ。荒魂は先鋒として師船を導かむ」(「和魂」「荒魂」という表現はこれ以前にも見えるが、同時に出てくるのはこの箇所が最初である)

その三

ひはのぼる はたくもの てりのあかねを
日はのぼる、旗雲の照りの茜を、
いざみふね いでませや あかきひむかを
いざ御船、出でませや、明き日向を。

うみなぎぬ みちしほの ゆたのたゆたに
海凪ぎぬ、満潮のゆたのたゆたに、
いざゆかせ てりぐはし そのうみつぢ
いざ行かせ、照り美しその海道。

うみなぎぬ あさぼらけ しほもかなひぬ
海凪ぎぬ、朝ぼらけ潮もかなひぬ、
ともへつぎ おほみふね みふなでいまぞ
艫舳接ぎ、大御船、御船出今ぞ。

<再び出発の様子>

 

だいよんしやう みふなうた
第四章 御船謡
 『海道東征』中、もっとも難解な箇所がこの第四章です。多くが「祝詞」からの引用だと思われますが、完全に源がわかっていませんので、今のところ内容説明は保留。ただし、一部に万葉集からのものがあります。
男声(独唱竝に合唱)

その一

みふなでぞ おほみふなで
御船出ぞ、大御船出、
みともぶね こぞりさもらへ
御伴船挙りさもらへ、
みともびと こぞりあふげや
御伴びと挙り仰げや。
ゆりとよめ しなどのかぜと
揺りとよめ科戸の風と
こへはなて ひがしにむきて
声放て、東に向きて。
おほみふね まかじしじぬき
大御船真梶繁ぬき、
てりわたる みゆみのゆはず
照りわたる御弓の弭、
あなさやけ かみにします
あな清明け、神にします、
あなまばゆ みこにします
あな眩ゆ、皇子にします。
はろばろや おおうなばら
はろばろや大海原、
はてなしや あをみなわ
涯なしや青水沫、
ゆりとよめ おほきくにたみ
揺りとよめ大き国民、
おほきみに
大君に、
このかみに
この神に、
たたへごと
讃へ言、
よごとまうせや
寿詞申せや。

 
その二

あらうみの
荒海の、
あらうみの しほのやほぢの
荒海の潮の八百道の、
やしほぢの
八潮道の、
しほのやほあひに はれや
潮の八百会に、ハレヤ、
とどろます はやあきつひめに
とどろ坐す速開津姫に
あさびらき あさのみきりの
朝開、朝のみ霧の
とほじろに
遠白に、
すゑしづみ
末鎮み
しづまらせ
鎮まらせ、
みめすがすがと ゑませとぞ
み眼すがすがと笑ませとぞ、
きこしめせと まうさく
きこしめせと申さく
みふなうた
み船謡。

・「荒海の〜速開津姫に」・・・大祓詞「荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百会に坐す速開都比売(はやあきつひめ)と言ふ神…」
その三

やあはれ
ヤァハレ
うなばらや あをうなばら
海原や青海原。

やあはれ
ヤァハレ
あをぐもや そのそぎたち
青雲やそのそぎ立、
そのきはみ こをば
その極み、こをば。

わがうみと おほきみのらす
我が海と大君宣らす、
わがそらと すめみましらす
我が空と皇孫領らす。

・「青雲やそのそぎ立、その極み、こをば」・・・祝詞・祈念祭「皇神の見霽かします四方の国は、天の壁立つ極み、国の退(そ)き立つ限り、青雲の靄く極み、白雲の堕り坐向伏す限り」

やあはれ
ヤァハレ
しほなわの とどまるかぎり
潮沫のとどまるかぎり、
ふねのへの ゆくゆくきはみ
舟の舳の行く行くきはみ。

やあはれ
ヤァハレ
しまかけて やそしまかけて
島かけて、八十嶋かけて、
おほうみに ふねみちつづけて
大海に舟満ちつづけて。

みはるかし おほきみのらす
見はるかし大君宣らす、
よもつうみ すめみましらす
四方つ海皇孫領らす。

・「見はるかし大君宣らす、四方つ海皇孫領らす」・・・祝詞・祈念祭「皇神の見霽(みはる)かします四方の国は、天の壁立つ極み」

*「潮沫」・・・「沫」の実際の字は「さんずいへんに區」。

やあはれ
ヤァハレ
くにつちや おほくにつち
国土や、大国土。

やあはれ
ヤァハレ
くにのかべ そのそぎたち
国の壁そのそぎ立、
そのきはみ こをば
その極み、こをば。

わがくにと おほきみのらす
我が国と大君宣らす、
わがつちと すめみましらす
我が土と皇孫領らす。

・「国の壁そのそぎ立、その極み、こをば」・・・祝詞・祈念祭「皇神の見霽かします四方の国は、天の壁立つ極み、国の退(そ)き立つ限り

やあはれ
ヤァハレ
あをぐもの そぎたつきはみ
青雲のそぎ立つきはみ、
しらくもの むかふすかぎり
白雲の向伏すかぎり。

やあはれ
ヤァハレ
たにぐくの さわたるきはみ
谷蟆のさわたるきはみ、
うまのつめ とどまるまぎり
馬の爪とどまるかぎり。

みはるかし おほきみのらす
見はるかし、大君宣らす、
よもつくに すめみましらす
四方つ国皇孫領らす。

・「白雲の向伏すかぎり」「谷蟆(たにぐく)のさわたるきはみ」・・・万葉集「…大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ…」(山上憶良)

・「馬の爪とどまるかぎり」・・・祝詞・祈念祭「馬の爪の至り留まる限り



さのくには ひろくと
狭の国は広くと、


けはしくに たいらけくや
嶮し国平らけくや。


とほきくには つなうちかけ
遠き国は綱うち掛け
もそろよと
もそろよと、
もそろと
もそろと、
くにひくと ひきよすと
国引くと、引き寄すと。

あなおほら おほきみのらす
あなおほら、大君宣らす、
あなをかし まかげしおはす
あなをかし目翳しおはす。

えしや えしや いやさか
善しや、善しや、弥栄。
とどろとどろ いやさか
とどろとどろ、弥栄。

「狭の国は広くと」「嶮し国平らけくや」「遠き国は綱うち掛け」「国引くと、引き寄すと」・・・祝詞・祈念祭「狭き国は広く、峻しき国は平らけく、遠き国は八十綱うち掛けて引き寄する事の如く…」

 

だいごしやう はやすひ と うさ
第五章 速吸と菟狭
 
男声独唱

その一

うなばらや あをうなばら
海原や青海原、
うみつぢの みちびきや はやさをねつひこ
海道の導や、早や槁根津日子
はやすひの みとになも そのうづひこ
速吸の水門になも、その珍彦

童声或は女声合唱(童ぶり)

  かめのかふに ゆられて
  亀の甲に揺られて、
  しほのせに ゆられて
  潮の瀬に揺られて、
  かぶりかうぶり あまのこ
  かぶりかうぶり海の子、
  さをやらな ついまゐれ
  棹やらな、附いまゐれ、
  なみかぶり かぶるに
  波かぶりかぶるに、
  みふねへと うつらせ
  み船へと移らせ、
  なをのれ はやはや
  名をのれ早や早や、
  みふねへ まゐづるは
  み船へまゐ出るは
  やっこぞと それまをす
  臣ぞとそれまをす。
  くにつかみと はひこごむ
  国つ神と這ひこごむ。
  しほみづく くにつかみ
  潮みづく国つ神
  いるかの まみよな
  海豚の眼見よな、
  とほめ とめ さかしな
  遠眼、鋭眼、慧しな、
  はぶりはぶり おもしろ
  羽ぶり羽ぶりおもしろ。

・左記、太字の箇所・・・神武紀「…速吸之門に至ります。時に、一の漁人有りて、艇に乗りて至れり。天皇、招せて、因りて問ひて曰はく、「汝は誰そ」とのたまふ。対へて曰さく、「臣は是国神なり。名をは珍彦と曰す。…」とまうす。…天皇、勅をもて漁人に椎嵩が末を授して、執へしめて、皇舟に牽き納れて、海導者とす。乃ち特に名を賜ひて、椎根津彦とす。…」

神武記「…亀の甲に乗りて釣りしつつ打ち羽ふり来る人、速吸門に遇ひき。ここに喚びよせて、「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、「僕は国つ神なり」と答へ曰しき。…かれここに、槁機をさし渡し、その御船に引き入れて、即ち名を賜ひて槁根津日子と号けたまひき。」

その二

男声女性(交互に唱和竝に合唱)

うさはよ さすしほのみなかみ
菟狭はよ、さす潮の水上、
とよくにの かりみや
豊国の行宮。
ああはれ あしひとつあがりのみやとよ かりのみや
ああはれ足一騰宮とよ、行宮。

 あしひとつあがりのみやは かりみやと
 足一騰宮は、行宮と
 あをのいはねに ひとはしらます
 青の岩根に一柱坐す。

 あしひとつあがりのみやに まゐづると
 足一騰宮に参出ると、
 おほわたのかめや かはのぼりくる
 大わたの亀や、川のぼり来る。

 あしひとつあがりのみやの おほみあへ
 足一騰宮の大御饗
 たがたてまつる はるかくもゐに
 誰が献る、はるか雲居に。

 あしひとつあがりのみやは うさつひこ
 足一騰宮は菟狭津彦
 あしたさもらふ ゆうべさもらふ
 朝さもらふ、夕さもらふ。

 あしひとつあがりのみやは たきのへや
 足一騰宮は湍の上や、
 あしひとつあがり くもべにます
 足一つ騰り、雲の辺に坐す。

  ええしや をしや
  ええしや、をしや、
  ええしや をしや
  ええしや、をしや。

・左記、太字の箇所・・・神武紀「行きて筑紫国の菟狭に至ります。時に菟狭国造の祖有り。号けて菟狭津彦・菟狭津媛と曰ふ。乃ち菟狭の川上にして、一柱騰宮を造りて饗奉る。」

神武記「…かれ、豊国の宇佐に到りましし時、その土人、名は宇沙都比古・宇沙都比売の二人、足一騰宮を作りて大御饗献りき…」

 

だいろくしやう かいだうくわいこ
第六章 海道回顧
 
その一

男声女性(交互に唱和竝に合唱)

かがなべて ひをよるを うなばらわたり
かがなべて、日を夜を、海原渡り、
かがなべて はたとしを みやうつらしき
かがなべて、将た歳を、宮遷らしき。
  ああはれ そのいくとせ
  ああはれ、その幾歳、
  ああはれ そのゆきゆき
  ああはれ、その行き行き。

としごとに みともぶね いやかずふえぬ
年ごとに、御伴船、いや数殖えぬ、
つぎつぎに みつきびと またいやましぬ
つぎつぎに、御従びと、またいや増しぬ。
  ああはれ またはるあき
  ああはれ、また春秋、
  ああはれ そがうみやま
  ああはれ、そが海山。

 
その二

つきのはや あしひとつあがりのみや
月の端や、足一騰宮、
ひととせや つくしの をかだのみや
一年や、筑紫崗田の宮

たけりとも あきのえのみや
多祁理とも、阿岐の埃の宮
たづたづや ななとせや あはれ
たづたづや、七年や。あはれ。

きびにして またやとせ たかしまのみや
吉備にして、また八年高嶋の宮
やまとはも とほしとよ たかちほよ はるけしと
大和はも遠しとよ、高千穂よ遥けしと。

・神武紀「十有一月…に、天皇、筑紫の岡水門に至りたまふ。十有二月…に、安芸国に至りまして、埃宮に居します。乙卯年の春…に、吉備国に徙りて入りましき。行館を起りて居す。是を高嶋宮と曰ふ。」

・神武記「其地(註、足一騰宮のこと)より遷移りまして、竺紫の岡田宮に一年坐しき。またその国より上り幸でまして、阿岐国の多祁理宮に七年坐しき。またその国より遷り上り幸でまして、吉備の高島宮に八年坐しき。」

その三

かがなべて ひをよるを うなばらわたり
かがなべて、日を夜を、海原渡り、
かがなべて またとしを みやうつらしき
かがなべて、将た歳を、宮遷らしき。
  ああはれ そのいくとせ
  ああはれ、その幾歳、
  ああはれ そのゆきゆき
  ああはれ、その行き行き。

みちみつや みたくはへ はやかくなりぬ
満ち満つや、み蓄、早やかく成りぬ、
あめのした ことむけむ ときいまなりぬ
天の下ことむけむ、秋今成りぬ。
  ああはれ えしや
  ああはれ、えしや、
  ああはれ いまぞときや
  ああはれ、今ぞ秋や。

・神武紀「三年積る間に、舟[楫戈](*)を脩へ、兵食をへて、将に一たび挙げて天下を平けむと欲す。」(*楫戈で一字)

 

だいななしやう しらかたのつ じやうりく
第七章 白肩の津上陸
 
その一

男声(独唱竝に合唱)

あをぐもの しらかたのつ そのつに
青雲の白肩の津、その津に、
をたけびぞ いまあがる みふねはてぬ
雄たけびぞ今あがる、御船泊てぬ
  いざのぼれ おほみいくさ
  いざのぼれ大御軍、
  いざふるへ ますらをのとも
  いざ奮へ丈夫の伴。

なみはやのへに さわぐあじがもや そのすを
浪速の辺に騒ぐ味鳧や、その渚を、
おひおしに おしのぼり みたてなめぬ
追ひ押しに押しのぼり、み楯竝めぬ
  いざのぼれ おほみいくさ
  いざのぼれ大御軍、
  いざふるへ ますらをのとも
  いざ奮へ丈夫の伴。

・神武紀「三月…に、遡流而上りて、径に河内国の草香邑の青雲の白肩之津に至ります。」

・神武紀「却りて、草香津に至りて、盾を植てて雄誥(をたけび)したまふ。因りて改めて其の津を号けて盾津と曰ふ。今蓼津と云へるは訛れるなり。」

・神武記「…浪速の渡を経て、青雲の白肩津に泊てたまひき。」

その二

くさかえのたでつ そのつに
日下江の蓼津、その津に、
をたけびぞ いまあがる おほみいくさ
雄たけびぞ今あがる、大御軍。
  いざのぼれ やまとはちかし
  いざのぼれ、大和は近し、
  いざふるへ ますらをのとも
  いざ奮へ丈夫の伴。

なみはやの うしほなし さかのぼると
浪速の潮なし遡ると、
わがゆかば なにはばむ ながすねひこ
我が行かば何はばむ、長髄彦
  いざのぼれ やまとはちかし
  いざのぼれ大和は近し、
  いざふるへ ますらをのとも
  いざ奮へ丈夫の伴。

・神武紀「夏四月…に、皇師兵を勒へて、歩より竜田趣く。…時に長髄彦聞きて曰はく「…」といひて、則ち尽に属へる兵を起して、徼りて、孔舎衛(くさゑ)坂にして、与に会ひ戦ふ。…」

・神武紀「却りて、草香津に至りて、盾を植てて雄誥(をたけび)したまふ。因りて改めて其の津を号けて盾津と曰ふ。今蓼津と云へるは訛れるなり。」

・神武記「この時、登美の那賀須泥毘古(ながすねびこ)、軍を興して待ち向へて戦ひき。ここに御船に入れたる楯を取りて下り立ちたまひき。かれ、其地を号けて楯津といひき。今に日下の蓼津といふ。」

 

だいはっしやう てんげふくわいこう
第八章 天業恢弘
 
かみましき あをぐもの うへにたかく
神坐しき、蒼雲の上に高く、
たかちほや くじふるたけ
高千穂や[木患]触峯。
  はるかなり そのはつくに
  遥かなりその肇国、
  きはみなし あまつみわざ
  窮みなし天つみ業、
  いざあふげ おほみことを
  いざ仰げ大御言を、
  かしこきや さやのみかがみ
  畏きや清の御鏡。
*[木患]・・・この2字で1字。
くにありき わたつみの しほとわかく
国ありき、綿津見の潮と稚く、
みちたらし よものもなか
光宅らし、四方の中央
  はるかなり そのくにうみ
  遥かなりその国生、
  かぎりなし あまつひつぎ
  かぎりなし天つ日嗣、
  いざつがせ ことよさすもの
  いざ継がせ言依さすもの、
  まがたまと にほひつづらせ
  勾玉とにほひ綴らせ。
・「光宅(みちた)らし」・・・神武紀「余謂ふに、彼の地は、必ず以て大業を恢弘べて、天下に光宅(みちた)に足りぬべし」

・「四方の中央(もなか)」・・・神武紀「蓋し六合(くに)の中心(もなか)か」(東征前)「蓋し国の墺区(もなか)か。」(東征後)

みちありき いにしへも かくぞひびきて
道ありき、古もかくぞ響きて、
つらぬくや このあめつち
つらぬくや、この天地。
  はるかなり そのかむさが
  遥かなりその神性、
  おぎろなし みつるぎよたち
  おぎろなしみ剣よ太刀、
  いざうたせ まつろはぬもの
  いざ討たせまつろはぬもの、
  ひたにうち しかもやはせや
  ひたに討ち、しかも和せや。
 
くもあをし かみさぶと いやとこしへ
雲蒼し、神さぶと弥とこしへ、
てりぐはし わがやまかは
照り美し我が山河。
  はるかなり そのくにがら
  遥かなりその国柄、
  ゆるぎなし そこついはね
  動ぎなし底つ磐根、
  いざたたせ すめらみこと
  いざ起たせ天皇、
  かむやまといはれひこのみこと
  神倭磐余彦命。
 
かみとます おほみいつ たかしらせば
神と坐す大御稜威高領らせば、
あめのした ひとついへとぞ
八紘一つ宇とぞ。
  はるかなり そのはつくに
  遥かなりその肇国、
  はてもなし あまつみわざ
  涯も無し天つみ業、
  いざしらせ やまとここに
  いざ領らせ大和ここに、
  をたけびぞ いやさかをわれら
  雄たけびぞ、弥栄を我等。
・「八紘一つ宇とぞ」・・・神武紀「…上は乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は皇孫の正を養ひたまひし心を弘めむ。然して後に、六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇にせむこと、亦可からずや。…橿原の地は、蓋し国の墺区か。治るべし」
ただし、いわゆる「八紘一宇」は田中智学の造語。

 

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